A-O-TAKEの隠し部屋

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zoom RSS 誕生日・伊織編

<<   作成日時 : 2007/01/01 00:00   >>

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 気が付くと、夕暮れの海岸に居た。
 「……あれ……」
 右を向いても、左を向いても、波打ち際がどこまでも続く。
 「……ああ、夢か」
 はっきりしない思考で、そう結論した。
 何もする気が起きないので、その場にぼうっと突っ立ったまま、沈まない夕日を眺める。
 明晰夢の場合、自分の思い通りに夢の内容を変える事が出来るというが、さて、どうすれば夢から覚めるのだろう?
 首を傾げながら、何か変化は無いものかと周囲を見回す。
 「――」
 ふと、誰かが自分を呼んだ気がした。
 「……誰?」
 声を上げるも周囲に人影は無く、その問いに返る答えも無い。
 「――」
 また聞こえた。近くからだ。一生懸命に頭を働かせながら、声の主を探す。
 「――」
 「あ……」
 三度目で、声のする場所が解った。自分の身体の中から聞こえている。
 そうと気が付いた瞬間、意識が急に覚醒していくのを感じた。
 (目が覚める……)
 もっとその声を聞いていたいと、ぼやける風景の中で手を伸ばす。
 「――伊織さん」
 目が覚める直前、はっきりと、自分を呼ぶ声が聞こえた。

 「ん……」
 寝ぼけ眼を擦りながら、伊織は身体を起こした。
 「冬芽……呼んだ……?」
 無意識の内にそう呟いて、かつて、この部屋で生活していた少女の姿を探す。
 部屋の中には誰も居ない。伊織は軽く首を振って、夢の内容を思い出す。
 最近見るようになった、波打ち際の夢。それは、自分の身体に起こった変化と時期を同じくしている。
 (やっぱり、関係があるんだろうな……)
 ぼんやりとした頭で、鳴る前の目覚まし時計を見る。
 SAT:7:15
 簡素なデジタル表示は、二度寝する時間が無い事を示している。伊織はベッドを降りて、洗面台に向かった。
 「今日こそは、蔵人にちゃんと言わなきゃ」
 鏡の中の自分に向かって、口に出して決意する。



 誕生日・伊織編
 


 蔵人の部屋の扉をノックするが、反応が無い。学校が休日の為か、蔵人はまだ寝ているようだ。
 伊織は先日貰ったばかりの合鍵を使い、部屋の中に入る。
 (良く寝てる……)
 夜更かしでもしたのだろうか。伊織が部屋の中に踏み込んでも、蔵人が起きだす気配は無い。
 一頻り、歳相応の可愛い寝顔(と伊織は思っている)を眺めてから、最近お気に入りの悪戯をする。
 つんつんと頬を突く。起きる気配は無い。
 鼻の頭を押してみる。起きる気配は無い。
 両方の目尻を横に引っ張る。つむった瞼が糸のように細くなるが、起きる気配は無い。
 (面白い……)
 そう思ってから、そんな場合ではないと気が付いた。早く起こして話さないと、いつものように六花が朝食を誘いに来る。
 朝の内に話す事が出来ないと、結局、その日は話せない事になる。この数日で学んだ成果だった。
 「蔵人、起きてくれ。蔵人」
 身体を揺すって呼びかけると、ようやくの事で蔵人の瞼が開く。
 「……。ああ、伊織。……おはよう」
 「おはよう、蔵人。早速だが、大事な話があるんだ」
 「……いきなりだな。急いでいるのか?」
 「うん」
 蔵人は軽く頭を振ると、身体を起こしてベッドに座る。
 「……で?」
 「うん。実は、その……」
 大事で急ぎの話と言ったくせに、口籠ってしまう。
 「……? 珍しいな。そんなに言い難い話なのか?」
 欠伸をしながら首を傾げた蔵人が、伊織を促す。
 「あ、ああ……その……実は」
 意を決した伊織が口を開いた時、常の如く、六花が部屋の中に入ってきた。伊織が鍵を掛け忘れたのだ。
 「くっろうどさ〜ん、朝御飯に行きましょ〜!」
 その声に被さるように、
 「……妊娠した」
 伊織の言葉が部屋に響いた。


 部屋の中が沈黙に包まれる。
 携帯電話に設定してあったアラームが鳴り、それを切欠にして部屋の空気が動き出した。
 「だっ、大ニュースだ〜!」
 「伊織、りっちゃんを捕まえろ!」
 「……!」
 伊織は無言のまま頷いて、部屋を飛び出そうとした六花の背中に飛び掛る。
 「はわっ!?」
 背後から腹に手を回された六花は、体格差に負けて引き止められる。
 「上手いぞ、そのまま部屋に引っ張り込め!」
 ベッドから降りた蔵人が叫ぶ。
 「キャー! お助けー!」
 伊織はじたばたする六花を持ち上げると、部屋の中に引き擦り込んだ。その隙に、蔵人が扉を閉めて鍵をかける。
 「……危ないところだった」
 「……すまない、蔵人。私の注意不足だった」
 「いや、被害の拡大を防げたから良しとしよう」
 「ワタシは病原菌か何かですか!?」
 伊織に抱えられていた六花は、床に降ろされると蔵人に文句を言う。
 「似たようなもんだろ。少なくとも、感染力は抜群だ」
 「……」
 六花の女子高生ネットワークにかかれば、今日中にクラスメート全員に伝わり、月曜日には、もう出産してしまったという話になりかねない。
 「ったく、そっちがその気ならこっちにだって考えが……」
 ぶつぶつと文句を言う六花を置いて、蔵人は伊織に尋ねる。
 「妊娠って……いつ、解ったんだ?」
 「十日ほど前だ。……その、言い出せなくて済まない」
 「いや……こっちこそ、気が付いてやれなくて、済まない」
 二人して顔を見合わせて項垂れてしまう。そこに、六花の声が割って入った。
 「落ち込んでる場合じゃないでしょう、二人とも。……伊織さん、ちゃんと検査したの?」
 「うん。本を読んで調べて、市販の検査器具を試した」
 「それじゃ駄目ですよ。恥かしいかもしれないけど、ちゃんと医者に行って調べてもらわなきゃ」
 六花は伊織に詰め寄ると、目を見ながら強い調子で言う。
 「あ、うん」
 剣幕に押されて、伊織は思わず頷いてしまった。
 「こういうとき、男の人は役に立たないんだから。ワタシが一緒に行ってあげますからね」
 「え……俺は?」
 「一緒に行くに決まってるでしょう、女の子の一大事なんですから! なに寝ぼけた事言ってるんですか!」
 「お、おう、スマン」
 「えっと、とりあえずは……」
 用意するものを考え始める六花。その腹がぐうっと鳴った。朝っぱらから怒鳴ったせいかもしれない。
 「とりあえず腹ごしらえですね。腹が減っては戦が出来ぬ、です」
 「そうだな。……りっちゃん、朝飯は俺が奢るから、この話は内密に頼む」
 蔵人が先手を打って、六花に頼み込む。
 「デザートは?」
 「……ああ、好きにしてくれ」


 食後のお茶を飲みながら、六花が蔵人に尋ねる。
 「そもそも、なんですが。蔵人さん、避妊してなかったんですか?」
 暫く考えた蔵人は、心当たりを思い出した。
 「……まあ、一回だけ、心当たりがある」
 蔵人の言葉に、伊織が頷いた。
 「ああ。……圭に殴られた時だ」
 「は? どういう意味ですか、それ?」
 六花の頭上にクエスチョンマークが飛び交う。蔵人は、六花に事の顛末を説明した。
 「成程。それは、う〜ん……男の人の発想ですよね〜。残念ながら、ワタシには弁護出来ません」
 「そんな気分じゃないって言ったのに」
 「……返す言葉もございません」
 伊織と六花に睨まれた蔵人は、テーブルに頭を着けて謝った。
 「でも、そんな事があったなんて知らなかったな。先月だって、圭さんがこっちに来た時、普通に話しをしてたし」
 余談ではあるが。
 国へと帰った圭は、月に一度は必ず来日している。参加しているプロジェクト(M3プロジェクト)の会合の為だ。
 「いつまでも気にしていたら、また張り倒されそうだしな」
 「うん。……あれは、結構痛かった」
 蔵人と伊織は、顔を見合わせて苦笑する。
 あの後に圭と会った時、手荒なグリーフケアについて笑いながら話したものだ。
 「まあ、過ぎた事を言ってもしょうがありません。これからどうするかですよ」
 「先に、観影に連絡しておこう。そうすれば、ここ(新東雲の研究者用施設)の病院で見てもらえる」
 「そうか。いちいち、お台場まで出かけずに済むな」
 伊織の意見に頷いた蔵人は、携帯電話を取り出した。

 研究棟の地下にある、観影の研究室。
 「……ああ。……ああ、解った。私の方から連絡を入れておこう」
 『済みません、面倒を掛けます』
 (……全くだな)
 ボタンを押して電話を切った観影は、内心で愚痴りながら、その場に居る二人の人物に向き直った。
 「済まないな、話の途中で」
 「いえ、構いませんよ。……それにしても観影さん、色々と多忙のようですね」
 肩を竦める観影に向かって、同席している圭が茶化してみせる。
 「笑い事じゃないぞ。唯でさえ、デミウルゴスの後始末で忙しいというのに」
 「……蔵人さんからの電話のようでしたけど?」
 もう一人の同席者、小夜音が観影に尋ねた。
 「疋田が、妊娠の可能性があるらしい。医者に話を通してほしいそうだ」
 「まあ……」
 「へえ……」
 観影の説明に、小夜音と圭が同じ表情をした。驚き四割、楽しさ六割といった感じだ。
 「プロジェクトの事後調査をするだけでも手一杯だというのに……」
 調査が思うように進まない苛立ちからか、観影が愚痴を言う。
 小夜音は、観影の前で藤林於雪に協力を要請した事が切掛けとなり、紆余曲折の末に、観影と共同で事後調査を行なう事になった。
 当然のように圭の正体も観影に知られるところとなり、圭は参加プロジェクトからの協力という名目で、こちらの調査にも顔を出すようになったのだった。
 観影としても、九蔓祷水会という自分の与り知らぬモノからの影響が、姉・光璃の事故に関係していると考え、真相を調査したかったのである。
 「まあ、良いじゃ有りませんか。学生という身分からすれば、確かに不謹慎ではありますが」
 「……あのなあ。お前たちは忘れているのかもしれないが、お前たちが東京に居る間の監督者は私なんだ。親御さんに、なんて説明をすれば良いのか……」
 小夜音が宥めるように言うが、観影は本格的に頭を抱えてしまうのだった。


 研究者用の病棟が開く時間を待って、蔵人と伊織は六花を伴って産婦人科に向かう事になった。
 「蔵人さんは大人しく待っていて下さい」
 と六花に言われて、蔵人は廊下に並んだソファに腰を下ろしていた。
 蔵人にとって数時間にも感じられる時間が過ぎる。
 やがて検査室の扉が開き、伊織と六花、産婦人科の医者が廊下に出て来た。
 「どうでしたか?」
 緊張気味の蔵人が医者に問いかける。医者はにっこり笑うと、次に来る時は、母子手帳を用意して下さいねと言って、廊下の向こうに去っていった。
 「伊織、大丈夫だったか?」
 六花の隣に大人しく立っている伊織に向かい、蔵人は声をかける。
 「……恥かしかった」
 顔を真っ赤にした伊織が答える。
 「そ、そうか……」
 「そりゃあもう、蔵人さんには見せられない、恥かしいかっこ……」
 「六花、余計な事を言うな」
 「んむっ!?」
 クネクネと身体を捩らせながら言う六花の口を、真っ赤になったままの伊織が塞ぐ。
 「とりあえず、何だ、こういう時は……。そう、あ〜、オメデトウ、で良いんだよな」
 気恥ずかしくなった蔵人は、訳の解らない事を言った。
 「うん。……有難う」
 同じように、気恥ずかしいのだろう伊織が、目を逸らしたま答える。
 「とりあえず、りっちゃんを放してやれ。窒息するぞ」
 「……あ」
 別の意味でクネクネしだしていた六花は、介抱されて床にへたり込みながら言った。
 「し、死ぬかと思った……。そうじゃないや。蔵人さん、お祝いの準備をしなくちゃいけませんね」
 「お祝い?」
 「懐妊するっていうのは、『おめでた』とも言うぐらいなんですから。面倒事は後回しにして、今日はパ〜っと騒ぎましょうよ!」
 「そう……だな。すまん、りっちゃん。色々と気を遣ってもらって」
 「えへへ……。まあ、ワタシは、お祭り騒ぎするぐらいしか能が無いですからね」
 照れ隠しに頭を掻きながら、六花が呟く。
 「さ、お昼ご飯を食べてから、パーティーの準備をしますよ。レッツゴー!」
 先頭に立って廊下を歩いていく六花。その背中を見送った伊織は、蔵人の傍に立ってその手を取った。
 「……伊織?」
 蔵人が、伊織の横顔を窺う。
 「……上手く言えないが、その、幸せなんだろうな。ココが温かく感じる」
 伊織は空いている手を胸に当てて、そっと微笑んだ。
 「そうだな。……さ、俺たちも行こう。りっちゃんが待ちくたびれるぞ」
 「うん」

 寮の食堂へと向かった蔵人たちは、待ち伏せていた小夜音たちと顔を合わせた。
 「聞いたよ、蔵人。……駄目じゃないか、ちゃんと避妊しなきゃ」
 蔵人たちがテーブルに着くと、開口一番、圭が愉しそうに言う。
 蔵人は『ぐるりん』と音が聞こえそうな勢いで、六花に向かって振り向いた。
 「りっちゃん、口外するなとあれほど……」
 「む、無実ですよ!? って言うか、今までずっと一緒に居て、言い触らす時間なんか有りませんって!」
 「あはは……。実は今朝、観影さんの所に居てね」
 「え? という事は」
 蔵人は、圭の隣に座っている小夜音に目を向けた。
 「はい、私も同席していたので、知っていますよ」
 「そうだったのか……」
 「ペナルティですよ、蔵人さん!」
 「す、済まん。勘弁してくれ」
 (普段の行いのせいじゃないの?)
 ぼそりと呟いた圭の言葉は、誰の耳にも届かなかった。

 和気藹々と、食事をしながらの会話が続く。
 「伊織さん、体調の方は大丈夫ですか? 悪阻とか……」
 「うん、問題無い」
 「すっぱい物が食べたくなったりとかは?」
 「特に無い」
 「めまいや耳鳴りとかはありませんか?」
 「特に無い」
 六花たちの質問を、片っ端から一刀両断していく伊織。
 「お前等な。心配してくれるのは嬉しいが……」
 蔵人が苦笑する。
 「いや〜、身近な人が妊娠するのは、初めてですからね。色々と聞いてみたいというか」
 「そうですね。不謹慎ですけど、同じ女性として、やはり気になりますから」
 「そうそう。いつ、自分の身に同じ事が起こるか解らないんだから」
 「「「「えっ!?」」」」
 「嫌だな、例えばの話だよ」

 「ふ〜。ご馳走様でした」
 最後まで口を動かしていた六花が、食事を終えて一同を見回した。
 「皆さん、これから何か用事はありますか? もし良ければ、伊織さん懐妊記念のパーティーをするのに、準備を手伝ってもらいたいんですが」
 「ああ、それはいい考えですね。おめでたと言うぐらいですから」
 「ははっ……。小夜音、りっちゃんと同じ事を言ってるぞ」
 「考える事は一緒だね。僕も出席させてもらうよ。……いやあ、良い時に日本に来たなあ」
 「決まりですね! それじゃあ、会場は伊織さんの部屋にするとして……。これから買出しに行きましょうか」
 そう言って、六花が席を立つ。
 「あ、ちょっと待って。……圭、少し相談したい事がある」
 続けて立ち上がろうとした圭を、伊織が止める。
 「え、僕にかい?」
 「うん。……多分、圭が一番良いと思う」
 「ん、解った。そういう訳なんで、皆、後はよろしくね」
 「は〜い。それじゃ圭さんは、伊織さんと一緒に、部屋を整理していて下さいね」
 パーティー会場の整理を伊織と圭に任せて、蔵人たちは食堂を出て行った。
 圭はその背中を見送ると、二人分のお茶を用意してから、伊織の正面に座る。
 「それで、僕に相談って言うのは?」
 「実は……妊娠しているのに気が付いた頃から、同じ夢を見るんだ」
 「なにか、不安を感じるような夢なのかい?」
 「いや。そういった感じはしない」
 伊織は圭の質問に首を振ると、夢の内容を細かく話す。
 「ふうん、なるほどね……」
 (波打ち際の夢か。海の夢は、恋が上手くいく予兆だったかな……。誰かから呼びかけられるというのは、新しい知識を得る事の暗示。……ふうん、そういうことかな)
 圭は夢占いなどの知識も持っている。古来より魔術師というものは、政治家などの相談役としてカウンセリングなどもするのである。
 「伊織さん。呼びかけてくる声に、心当たりはあるのかい?」
 「……冬芽に、似ていた……」
 ぽつりと呟く伊織。
 伊織にとっての冬芽がどういう存在だったか、圭はよく知っている。無意識の内にでも、その声で呼びかけられる夢を見るのは、なにかしらの意味があるのだろう。
 (とりあえず、直接視てみようかな)
 身体の中から呼びかけられる。圭は、それを胎児のメッセージと感じた。
 おそらくは、伊織にとっての良い存在である、冬芽の声を借りて呼びかけているのだろうと思ったのだ。
 圭は立ち上がると、テーブルを回り込んで伊織の隣に立つ。
 「伊織さん。これから、ちょっと『視て』みるから、緊張しないでいてくれるかな」
 「うん、解った」
 伊織の了解を得てから、圭は瞼を閉じて伊織の腹部に意識を集中させた。
 (さて、どんな人が居るのかな………)
 やがて、ゆっくりと、一人の人物が浮かび上がってくる。
 どうやら、白い髪をした少女のようだ。それが誰かを理解して、圭は唖然としてしまった。

 少女はどういうわけか、圭の視線に気が付いて振り向いた。
 どうやら、彼女の方も『視られる』とは思っていなかったらしい。驚いた顔で圭を見た少女は、悪戯を見つかった子供のような、ばつの悪い照れた笑みを浮かべた。
 誤魔化すように頭を掻きながら、圭に向かって会釈する。そして、『秘密ですよ』と言うように、人差し指を唇に当てた。


 「……圭。大丈夫か。圭」
 「……えっ? あれ?」
 圭は伊織に名前を呼ばれて、自分の意識が飛んでいた事に気が付いた。
 「圭。もしかして、何か悪いモノでも見えたのか?」
 「え、いや、そんな事は無いけど……」
 「……本当に、大丈夫か?」
 茫然自失の圭に向かって、伊織が心配そうな視線を向ける。
 「は……ははっ……」
 (まさか『本人』だなんて。……驚かせてくれるよ)
 「圭?」
 「ああ、うん。……大丈夫、問題は無いよ。きっと、元気な赤ちゃんが生まれるから」
 「??」
 圭は笑い続けながら、それだけを言う。伊織は訳が解らずに首を傾げるのだった。


 一方その頃。
 買出しの為に、小夜音・六花と駅前に来た蔵人。
 切符を買おうと財布を取り出した時、携帯電話が鳴っているのに気が付いた。取り出して、相手の名前を見る。
 「げっ……」
 「げ? ……どうしたんですか、蔵人さん」
 表示を見て固まった蔵人に、六花が声をかける。
 「姉貴だ……」
 『丸目美弥』の表示を見て、呻くように声を出す蔵人。放っておく訳にもいかないので、渋々ながらボタンを押す。
 「もしもし」
 『……』
 呼びかけるが、相手からの返事が無い。蔵人は不審に思いつつも、再度呼びかけを行う。
 「もしもし? ……姉貴?」
 すうっ、と、電話口から息を吸い込む音が聞こえた。危険を察知した蔵人は、慌てて耳を離す。
 『このっ、大馬鹿者ー!!』
 次の瞬間、電話にはあるまじき、凄まじい怒声がその場に響いた。小夜音と六花が吃驚して飛び上がる。
 「な、なんですか、今の?」
 「……蔵人さんのお姉さん、只者ではないですね」
 二人の驚きをよそに、慌てて携帯電話のボリュームを下げてから、蔵人は電話口に怒鳴り返す。
 「鼓膜が破れたらどうするんだよ、馬鹿姉貴!」
 『五月蝿い!アンタ、女の子に手ぇ出して、妊娠させたんだって!?』
 「な、何で知ってる?」
 『伊集院さんって人から連絡が有ったのよ!』
 聞こえてくる電話相手の声を聞いて、小夜音は得心したように手を打った。どうやら観影は、律儀に蔵人の家に連絡したらしい。
 『今、そこに相手の女の子は居るの?』
 「いや、今は家で留守番してるが……」
 『なんで傍に居てあげないの! 妊娠が、女の子にとってどれだけ大事か解らないの?』
 「い、いきなり電話してきて、文句ばっかり言うなよ」
 『ああ、もう。もう少し時間が早ければ、飛行機に乗ってそっちに行ったのに!』
 「なにも、そこまでしなくても……」
 喧々囂々と続く、蔵人と美弥の会話。
 「六花。どうやら長くなりそうですから、私たちだけで買い物に行きましょう」
 「……そうですね。その方が良さそうです」
 小夜音と六花は肩を竦めると、蔵人に向かって会釈してから、駅の中に入っていった。
 『……ったく。ああ、せめて、相手の顔を見て話せればな』
 「無茶言うなよ、姉貴。……まてよ」
 東京に来る・来ないで騒いでいた蔵人は、ある考えに思い至った。
 「姉貴。顔を見て話がしたいなら、パソコンを使ってくれよ。伊織……俺の彼女も持っているから」

 余談であるが、この時代のデスクトップパソコンは、双方向の映像データ送受信により、テレビ電話の機能が標準装備されているのだ。
 『……本当は、直接会って話がしたいんだけど、仕方が無いか』


 「そういう訳で、姉貴と話をしてやってくれないか」
 蔵人は、圭と共に部屋の整理をしていた伊織に、そう言って頭を下げた。
 「……解った。覚悟は出来ている」
 「また唐突だね、蔵人は。……僕も、同席して良いかな。第三者が居た方が、会話がスムーズになるだろうし」
 黙って話を聞いていた圭が、隣から口を挟む。
 「本音は?」
 「いや、蔵人のお姉さんって、どんな人かなって」
 「まあ良いけどな」
 そんな事を言っている間に、伊織はパソコンの電源を入れて会話の準備をしていた。
 「蔵人、アドレスは?」
 「ああ、ちょっと待ってくれ」
 口頭で示すよりも自分で打った方が早い。蔵人は伊織の隣に座って(パソコンは座卓の上に乗っている)アドレスを打った。
 ピッピッと信号が繋がり、画面に文字が表示される。

 回線が繋がりました。表示しますか?

 「YES、と。……姉貴、顔を見るのは久し振りだな」
 画面が切り替わり、目の前のモニターに、蔵人の姉・美弥の姿が映し出される。
 『アンタがろくに帰郷しないせいでしょ。オホン。……貴女が、疋田伊織さんですか?』
 「はっ、はい」
 『始めまして。私、蔵人の姉で美弥といいます。よろしくお願いします』
 「はい。こちらこそ」
 (なんだ? 伊織、緊張してるのか?)
 カチンカチンに強張って、硬い返事を返す伊織。人見知りをしない伊織にしては、珍しい反応だ。
 『今回の件は、真に申し訳有りませんでした。本来ならば、直接お会いして謝罪したいところではありますが……』
 「そ、そんな。無理しないで下さい」
 『蔵人がこんな事をしたのも、姉である私の育て方が間違っていた所為で……』
 「いっ、いえ。私は大丈夫です。……頭を上げて下さい。蔵人は、良くしてくれています」
 緊張しているだけでなく、妙に饒舌な伊織。顔を赤らめながら蔵人を弁護する。
 『……蔵人。アンタ、こんな良い娘さんに手を出すなんて、覚悟は出来てるんだろうね?』
 一生懸命に蔵人を庇う伊織を見て、モニターの中の美弥の視線が、ぎろりと蔵人を睨みつけた。蔵人は思わずテレビカメラの範囲から逃げてしまう。
 『隠れるな、こら。……あ、伊織さん、蔵人にはちゃんと責任を取らせますので、貴女は何も心配しないで下さいね?』
 戸惑っている伊織の表情が、モニターに映されたのだろう。慌てたような声で、美弥が伊織に弁解する。
 「責任? ……あ、あの……」
 『はい、何でしょう』
 「その、何て言っていいのか……」
 伊織は、もじもじと身体を捩らせながら、言い難そうに美弥を見詰める。やがて、決心したように口を開いた。
 「私、合格でしょうか」
 『は?』
 「「は?」」
 伊織の言葉に、モニターの向こうの美弥は勿論、その場に居た蔵人と圭も首を傾げた。伊織は僅かに俯きながら言葉を続ける。
 「その……。家族に紹介されるのは、け、けっ、結婚の挨拶の時だと聞いていたから。……私は、蔵人の相手として、……その、合格ですか?」
 『……』
 意を決して口にした言葉だったのに、美弥からの返事は無い。不安に思った伊織は、上目遣いでモニターを見た。
 そこには、ぽかんと口を開けて、呆気に取られている美弥が映っている。
 「あれ……? 私、変な事を言った?」
 伊織は思わず振り向いて、蔵人と圭の顔を見た。この二人も同じような顔をして呆けている。
 「??」
 伊織は不思議そうに首を傾げた。その動きがツボに入ったのか、モニターに映された美弥が、腹を抱えて大爆笑した。
 『あっははははは……!!』
 「え? あの……」
 「ははは……。いくらなんでも、話が唐突過ぎるよ。……伊織さん、そんなの、誰に聞いたのさ?」
 同じように転がって笑う圭が、途切れ途切れに伊織に尋ねる。
 「……六花だけど」
 「やっぱりか……。りっちゃんめ、後で、お仕置きだな」
 流石の蔵人も、笑いを堪える事が出来ない。
 『ははは……。蔵人、アンタが大事に、守ってあげるのよ?』
 「解ってるよ。俺には勿体無いぐらいだ」
 『夜には父さんにも挨拶させるからさ……』
 家族間の会話が続く。首を傾げる伊織をよそに、蔵人と伊織の結婚は承認されたようだった。


 「皆さん、準備は良いですか? あっと、伊織さんは、身体に障るといけないので、今日はジュースですよ」
 夕食時、伊織の部屋に集まった蔵人たち(白衣と黒衣も含めて)七人は、各々がグラスを持って六花の音頭を待つ。
 「それじゃ、かんぱ〜い!」
 狭い部屋に七人も入ると、膝を突き合わせて座るような形になる。隣の人間に当たらないように注意しながら、全員がグラスを掲げた。
 「有難う、みんな」
 伊織は嬉しそうに微笑みながら、全員の乾杯を受ける。
 「でも、これから大変よね。蔵人はどうするか考えてるの?」
 いつもの如くと言うべきか。黒衣が愉しそうに蔵人を弄る。
 「まあ……。伊織の卒業を待ってから実家に帰るのも、1つの方法ではあるけどな」
 「ええっ? 蔵人さん、帰っちゃうの?」
 蔵人の言葉に、六花が驚いた声を上げる。
 「もしもの話だよ。って言うか、実際のところ、何も考えてねえ」
 「蔵人は無計画だなあ。まあ、計画性があったら、こんな事態にはなってないか」
 圭が意地悪く笑う。
 「はいはい、俺が全部悪いんですよ。……言い訳しないから、好きなだけ言ってくれ」
 「……でも、何か不思議な感じです。伊織さんの胎内に、別の命があるなんて。……触っても良いですか?」
 伊織の腹を眺めながら、赤い顔の白衣が呟く。グラス半分の酒で既に酔ってしまったらしい。
 「良いけど……。まだ解らないと思うけど」
 「そんな事無いですよ〜。えへへ……。元気ですか〜?」
 触っても良いかと聞いたくせに、伊織に近づいた白衣は、膝の上に頭を乗せてから腹に耳を当てた。
 「ちょ、お姉ちゃん? ご、御免ね、伊織。……ほら、離れて」
 黒衣が白衣引き剥がして、自分の身体に寄りかからせる。
 「白衣ちゃん、お酒弱すぎ〜」
 「未成年が酒に強くてどうするのよ。六花と違って、お姉ちゃんは品行方正なんだから」
 「やれやれ……」
 (また、最後に俺が介抱するんだろうな……)
 始まった直後なのに混沌としてきた部屋の様子に、蔵人は肩を竦めるのだった。
 「心配しないで良いよ、蔵人。今日は、僕も小夜音さんも抑えて飲むから。……蔵人だって、今日の主役なんだからね?」
 「そうですよ、蔵人さん。こんな時ぐらい、心配事が吹き飛ぶぐらい飲んで下さい」
 蔵人の両脇に圭と小夜音が陣取って、手に持ったグラスに酒を注ぐ。
 「……お前たちに任せるのも、一抹の不安があるんだけどな……まあいい」
 苦笑した蔵人は、注がれた酒を一気に呷ると、圭の前にグラスを差し出す。
 「そうこなっくっちゃ。さ、どんどん行こうか」
 案の定、二時間もしない内に、全員が前後不覚になった。


 「―――――〜♪」
 誰かが、小さな声でメロディを口遊んでいる。歌詞は無い。
 その音色に誘われて、蔵人は目を覚ました。
 「……伊織か?」
 「蔵人。起こしてしまったか」
 蔵人の髪に触れていた、伊織の手が離れる。頭を撫でていたらしい。
 「いや……」
 蔵人はゆっくりと身体を起こして、部屋の中を見回した。部屋の明かりは消えて、静寂と宵闇が部屋を包んでいた。開け放たれたカーテンから月の光が差し込んでいる。
 六花と小夜音、圭の三人が、銘々の格好で眠っていた。『明日もバイト』と言っていた、黒衣と白衣は帰ったらしい。
 伊織は窓の下の壁に寄りかかって、片膝を抱き寄せて座っていた。
 「今、何時だ?」
 「十時過ぎだ。蔵人は、二時間くらい寝ていた」
 「そうか……」
 蔵人は身体をずらして、伊織の隣に座りなおした。
 「すまん、寂しかったか?」
 「ううん。……蔵人の寝顔は、可愛かった」
 「……。また、悪戯してたのか」
 「起きない蔵人が悪い」
 「……」
 蔵人は文句を言いかけて、止めた。その代わりに、気になった事を尋ねる。
 「なあ。さっきの、子守唄か?」
 「うん。……逆に、起こしてしまったな」
 「それは、別に構わないけどな。珍しいと思って」
 伊織は蔵人の顔をじっと見詰める。
 「どうした?」
 「うん……。昔を、思い出した」
 伊織は寂しそうな笑みを浮かべ、小さな声で囁く。
 「歌詞も覚えていない。顔も、もう思い出せない。……でも、母が歌ってくれていた……はずだ」
 「……そうか」
 蔵人は手を伸ばすと、伊織の手をそっと握る。伊織の手は微かに震えているようだった。
 「私は……怖い」
 伊織は蔵人の顔を見ながら、搾り出すように言う。
 「親に育てられなかった子供は、子供の育て方が解らないという。……私は、良い母親になれるだろうか」
 不安そうに瞳が揺れる。迷子の子供ようだと、蔵人は思った。
 「心配するな。一人で何でもするわけじゃないんだから」
 伊織の肩に手を回して自分の方に引き寄せる。肩に乗った頭を撫でながら、諭すように、ゆっくりと言葉を紡いだ。
 「子守唄、覚えてるんだろ。……今は解らなくても、伊織の中には、ちゃんと母親の思い出がある。大丈夫だよ」
 「でも……」
 「でもは無しだ。……どうしても自分が信じられないなら、大丈夫って言った、俺の言葉を信じろ」
 「……うん」

 (クサッ! 何てクサイ台詞ですか!)
 (六花、静かになさい。起きているのがばれますよ?)
 (……何て言うか、起きるタイミングを逸したね……)

 「伊織、ちょっと良いか?」
 「ん?」
 蔵人は身体を離すと、伊織の膝に自分の頭を乗せた。
 「さっき、白衣に先をこされちまったけどな」
 蔵人は、伊織の腹に耳を当てながら、照れくさそうに笑う。
 「……寝ていて良いぞ」
 「そんな勿体無い事はしないさ」
 「これから、大変になるんだろう?」
 「寝るよりも、こうしている方が疲れが取れる」
 「……」
 伊織は無言のままで、蔵人の髪を撫でる。
 「……くすぐったいな」
 「しょうがないな、蔵人は。……赤ちゃんみたいだ」
 伊織は軽く微笑んで、新しい家族の事を思い描きながら、先程の子守唄を口遊む。
 「赤ん坊の名前、冬芽にするんだったよな」
 「うん」
 「幸せにならなきゃな。期待してくれている皆の為にも。……冬芽の、為にも」
 「……うん」
 頭を撫でている内に、蔵人の寝息が聞こえてきた。足が痺れるかも、と思ったが、伊織はそのままにしておく事にした。
 腕を伸ばして毛布を取ると、自分と蔵人を纏めて包む。蔵人の身体の温かさを感じながら、伊織も目を閉じた。
 「――」
 不意に、夢の中で聞こえる声が、自分を呼んだ気がした。
 (早く出ておいで。そして、一緒に幸せになろう)
 きっと、今日も同じ夢を見るのだろう。伊織は子供に聞かせる幸せのカタチを考えながら、静かに微笑んだ。




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