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zoom RSS 伊集院観影SS 「夢物語」3

<<   作成日時 : 2007/01/01 00:00   >>

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 観影先生のお話、その3。


 事故が起こってから、一週間が経った。

 「はあ……」
 私は大きな溜め息を吐いた。事故が起こってから研究所に泊り込んで、事故の原因と姉さんの身体に起こった異常を調べていたのだが、その結果は芳しくない。

 結局のところ、判明したのは事故の原因だけ。
 デミウルゴスシステムの原理を簡単に言うと、『ニトクリスの鏡』によって身体と引き離した精神を、偏倚立方体というコンピューターの中にある仮想現実の世界に入り込む事によって、偏倚立方体を動かしているプログラムを『内側』から書き換えるというものだ。
 偏倚立方体の中に精神が入っている間、身体は(現実の2重認識など精神にかかる負荷を軽減するため)催眠状態になる。逆に言えば、精神が偏倚立方体から出なければ、本人が目覚める事はない。
 だが、ここに盲点がある。偏倚立方体の中に精神が入る為には、引き離された精神を偏倚立方体とおなじフォーマット、つまり数値データとして変換しなければならない。そのデータは、『鏡』から偏倚立方体へと伝達される過程において、欠損する可能性があるのだ。
 データ化された精神は、出力された数値と戻って来た数値が同一と認められなければ、本人の精神と認識されない。その場合、データ化された精神は偏倚立方体の中を彷徨う事になり、身体は永遠に眠り続ける事になる。
 デミウルゴスシステムの効率化を図るために変更されたプログラムは、『鏡』と偏倚立方体のデータ伝達率を変えるものだった。そのプログラムにバグが有った為に、『鏡』がデータ化された精神を正確に認識出来なかったのだ。
 つまり、姉さんの精神は、今も偏倚立方体の中に留まっているのである。

 そうして、姉さんは目を覚まさずに居る。いや、呼吸も脈拍もないのだから、死んでいると言っても良い。だが、何故か死体特有の経時変化も見られない。この矛盾した、時間が止まっているとでも言うべき状態を引き起こしているのは、デミウルゴス以外にあり得ないのだが……。
 何故、姉さんの身体の時間が止まったのかと問われれば、私には答えようが無い。元々、システムの主要部分を占める偏倚立方体が人類の手による物ではないのだから、何を調べても途中で行き詰ってしまうのである。


 「はあ……」
 現状を頭の中で整理していると、その混沌とした状況に嫌気が差す。調べても終わりの見えない課題が、私の心身を消耗させ続けている。
 「駄目だな。少し風に吹かれるか」
 中庭のベンチにでも座って、気分を落ち着けよう。研究棟に戻って同情的な視線を集めるのにも疲れた。
 ゆっくりとした歩調で、中庭に足を向ける。
 視界の中にデミウルゴスが見えた時、風に乗って微かな声が聞こえてきた。聞いたことの無い声だ。
 「全く、面倒な事になったもんだ」
 男の声だ。そう気が付いた時には、足が早く動いていた。こんな時間、こんな場所に誰が居るのだろう?
 デミウルゴスの傍まで歩いてくると、システムを挟んだ私の反対側に、若い男が立っているのが見えた。
 「すまないが、そのチェーンの中は立ち入り禁止だ。それ以上、設備に近付かないでもらいたい」
 「お? これは失敬」
 男は私の忠告を素直に聞いて、チェーンの外側に出た。そのままぐるりと回りこんで、私の傍まで歩いてくる。やはり、その顔に見覚えは無い。
 「見たところ、貴女はここの研究者のようだな。疋田博士には会えるかな?」
 白い長髪をした背の高い男だ。しかも服装が、これまた奇天烈である。――パンクロック風の気障男とでも言えば解りやすいだろうか。どう見たって研究者ではあるまい。同様に、役人にも見えない。であれば、出資者関係の人間か。
 「……失礼ですが、お名前をお教えください。アポの無い方は、お通しする事はできません」
 「ふむ。……人に名前を尋ねるときは、先に自分の名を告げるべきじゃないかな」
 「は……?」
 ちょっと驚いた。そんなまともな発言をする風体には見えなかったからだ。
 「私は、疋田博士の補佐を勤めている、伊集院観影と言います」
 「ほう、貴女がそうか。成程ね……。俺の名前は、上泉信綱と言う」
 その名前を聞いて、私は思わず口を開けた。なんとも時代の掛かった名だ。
 「あの……、ご本名ですか?」
 「はは、やっぱり信じてもらえないか。まあ良いさ。そうだな、『N』とでも呼んで貰おうか。疋田博士には、そちらの方が解りやすいだろう」
 「『N』、ですか」
 「ああ、交喙機関から派遣されてきた。疋田博士のプロジェクトの進み具合が予定よりも遅れているようなのでね。おまけに、先日の事故で大事な精神昂揚力者を失った。俺は計画の監視者であると同時に、精神昂揚力者の補充人員でもある」
 私は心臓が止まるほどに驚いた。精神昂揚力者、だと? 実験に参加できる精神昂揚力者は、姉さん1人ではなかったのか?
 「それにしても、アンタが……の妹か」
 呆然としていた所為か、誰の妹と言ったのかはっきりと聞こえなかった。おそらく、『ソフィアー』と言ったのだろう。プロジェクトに関わっている者なら、誰でも知っているだろうから。
 「案内します。こちらへどうぞ」
 余計な考えを頭から追い出して、男を促して歩き始める。先を行く私の背中に、男の声が投げかけられた。
 「宜しく頼むぜ、伊集院さん。これから、長い付き合いになるだろうからな」

 私は、交喙機関からの通達を持って来たという上泉を伴って、疋田博士の研究室を訪れた。私はそのまま部屋を辞そうとしたのだが、疋田博士に止められた。私に用事があるらしい。
 「――そういう訳で、交喙機関では未成年者の精神昂揚力者を、5人ばかり見繕った。俺と合わせて6人、この人員で実験を行なうようにとの事だ」
 上泉は長い説明の最後にそう言った。机の上には、上泉の持ってきた精神昂揚力者のリストが、顔写真入りで並んでいる。
 私は情けない事に、既に思考停止してしまっていた。1人どころか、6人! 6人も精神昂揚力者が居るなら、高い危険を冒して、姉さん1人で起動実験などする必要は無かったのに!
 「成程、それはご苦労だったな。……だが、残念ながら、君の持ってきた資料は役に立たんようだ」
 疋田博士は素気無く言うと、上泉の持ってきた資料の上に、同様の資料を並べてみせた。同じ書式で顔写真入り。見た限り、こちらも未成年者のようだ。
 「あん? 何だこりゃ。……精神昂揚力者のリスト、だと?」
 資料を覗き込んだ上泉が、不審そうな声を上げる。
 「我々も、指示をただ待っているだけの人間ではないよ。我々独自のルートで交喙機関に働きかけて、候補者の選別を行なった」
 「な……! 博士、いつの間にこれだけの人員を集めたのです!?」
 私は疋田博士に詰め寄った。当たり前だろう。今、これだけの精神昂揚力者を集められるなら、何故、あの日程で実験を行なったのだ。
 「伊集院君。……事故の件に関しては、すまなかったと思っているよ。だが、この資料が届いたのも昨日の事でね。つまり、光璃君の事故を切掛けにして、交喙機関も本腰を入れて精神昂揚力者を探し始めたという事だ」
 「そんな……」
 力なく肩を落とした私の代わりに、上泉が声を上げる。
 「ふん、独自のルートねえ。良ければ、そのルートを聞きたいんだが?」
 「残念だがそれは教えられん。……この一件でも解ると思うが、交喙機関も一枚岩ではないのでね」
 「あー、そうかい」
 「だが、日程の件に関してなら、そちらの希望に合わせて動くとしよう。時間が無いというのは共通認識だからね」
 「そうね……。とりあえず、こちらの用意した精神昂揚力者で、早いうちに起動実験を行なうわ。もう、未成年だからどうとか言っている場合でもないし」
 「早いうち? 何時ですか?」
 マーシュ博士の言葉に私は疑問の声を上げた。精神昂揚力者の管理は私の仕事だ。起動実験を行なうというのなら、早いうちに資料を揃えなくてはいけない。だが、マーシュ博士は平然と言ってのけた。
 「ああ、そういえば、伊集院さんには知らせていなかったわね。……伊集院さん、貴女には、暫く休暇を取ってもらう事にしたわ」
 「休、暇?」
 呆然として鸚鵡返しに尋ねた言葉に、疋田博士が答える。
 「伊集院君。聞けば、君はあれから家に帰っていないそうだね。これから実験も本格化するという時に、君まで倒れられては困るのだよ。……福利厚生の責任者からも、有給休暇を消化するように言われているしね」
 「しかし、私は」
 「何、個体登録くらいなら、君が居なくても何とかなるよ。実験が本格的になれば、休みたくても休めなくなるからね」
 「……そうですか」
 反論する気力も無くなった私は、頷く事しか出来なかった。
 「本格的な実験を行なうときには立ち会ってもらうので、とりあえず一週間くらい休暇を取ってくれたまえ」
 「……解りました。失礼します」
 私は頭を下げて部屋を出る。扉が完全に閉まってから、深く溜め息を吐いた。
 「私は、用済みという事か……」

 休暇の手続きを取った私は、その足で研究棟を後にした。車を運転する気分でもなかったので、歩いて自宅へと向かう。ふらふらと彷徨いながら歩き続けて、自宅へと着いたのは日が沈んでからだった。
 「ただいま」
 一週間振りに自宅へと入る。いつもは返ってくる明るい返事は、無い。私はそれ以上喋らずに、靴を脱いで部屋へと上がった。
 カーテンが空いたままなので、窓の向こうの夜景が良く見えた。部屋の明かりを点けるのが億劫になり、暗いままの部屋を歩いてリビングへ行き、私の定位置になっていたソファに腰掛ける。
 「ふう……」
 息を吐いて背もたれに寄り掛かり、首を後ろに倒して背もたれの天辺に乗せる。そのままの体勢で暗い天井を見上げた。何をする気力も無い。空腹を感じてはいるものの、食事をする気力さえなかった。腕の力を抜いて両側に広げる。
 「ん?」
 何か、布の塊が手に当たった。首を動かすのが面倒だったので、それを摘んで顔の正面にぶら下げる。
 「姉さん、ちゃんと洗濯籠に入れておいてって、いつも言っているのに」
 それは姉さんのパジャマだった。そういえば、最後に家を出たあの日、姉さんはいつまでもパジャマでうろついていたっけ。「早くしないと置いていく」なんて急かしたから、ここで着替えたのかもしれない。
 「結局、服を脱ぎ散らかす癖、治らなかったな」
 苦笑しながら呟いて――私は愕然とした。過去形で喋っている。私の心は、もう姉さんが帰ってこないのだと、納得してしまったのだ。
 「はは……。私は、何で帰ってきたんだろうな」
 ここにはもう、自分しか居ない。優しい声も、お日様のような笑顔も、ここには無い。冷たくて、暗いだけの家だ。
 指から力を抜いて、顔の上にパジャマを落とす。そのパジャマはまだ、姉さんの匂いが残っていた。
 「っく……姉さん……」
 涙が溢れる。あの事故から一週間が経って、私はやっと、姉さんの為に涙を流した。
 頭を包む姉さんの匂い。こうして、泣いている時に頭を抱いてもらったのは、何時以来だろうか。
 私は幼い子供のように、疲れて眠ってしまうまで泣き続けた。――姉さんの匂いに包まれながら。


 ピンポーン。
 来客を告げるチャイムが鳴ったのは、休暇を取ってから3日目の夕方の事だった。
 「ん?」
 私はタッチパネルを操作して、扉の外にあるカメラで相手の顔を見る。カメラ越しに、私と相手の視線が合った。
 『よう、居るんだろ? 話が有って来た。開けてくれないか』
 スピーカーから聞こえてきた声の主は、上泉信綱。

 「出会ったばかりの女性の家に押しかけるとは、どういうつもりなのかな」
 私は上泉をリビングに通した後、不機嫌を隠そうともせずに言ってやった。
 「キツイ言い方だな。……何だ、もしかして寝てたのか? 目が赤いぜ」
 私と向かい合わせに座っている上泉は、私の言葉を受け流すかのように、そんな事を言ってのける。――寝ていたのではない。姉さんの荷物を整理していて、色々と思い出していただけだ。
 「さっさと本題に入ってくれないか。折角の休暇を、面白くない話で潰すのは御免だ」
 今更、プロジェクトの話などどうでも良い。私はこの休暇が明けたら辞職するつもりだった。姉さんの荷物を整理していたのもその為だ。
 「ふん、余裕が無いなあ。肩の力を抜けよ」
 軽い態度で喋る上泉は、私の顔を覗き込むようにして話を続ける。
 「率直に聞こう。アンタ、計画の責任者になるつもりは無いか」
 私の動きが止まる。一瞬の躊躇の後、私は答えた。
 「無い」
 冗談だろうとか、馬鹿な事を言うなとか、そんな事は言わなかった。わざわざ家まで押しかけて話す内容なのだ。本気に決まっている。
 「おいおい、即決かよ。少しは考えてみようとか、思わないのか?」
 「実現不可能な話などに興味は無い。だいたい、何故そんな話をする?」
 「交喙機関は、疋田とマーシュの2人を排除する事に決めた。交喙機関は一枚岩じゃないって疋田も言っていたが、どうやらこの2人は、独自の利益を追求するつもりらしいからな」
 「ふうん。……排除とはまた物騒だな。どうやって?」
 「物理的にさ。疋田は交喙機関の中でも大分『上』の人間で、失脚させるのは難しい。裏から手を回して、なんて悠長な事はしていられない」
 想像した以上の物騒さだった。物理的。つまり、居なくなってもらう訳だ。――この世から。
 「言っておくが、それは殺人教唆だぞ」
 上泉の顔は、平静そのものだった。
 「解っているさ。だが、手っ取り早く首を挿げ替えられる。デミウルゴスがどういうものか、お前さんも知っているだろう? 起動実験……つまり個体登録だが、それが成功すれば、奴らは世界を自由に出来る権利を得る」
 「世界を自由に出来る? あのシステムは、そんな利便性のあるものでは無い。6人の精神昂揚力者が意志を統一してさえ、世界を救うといった大雑把な願いを実現する事しか出来ないのだぞ?」
 逆に言えば、世界を救うという願いでさえ、6人の人間が意志を統一しないと叶えられないのだ。自由に願いを叶えられる訳がない。
 「お前さん、まだ寝ているのか? もっと頭を使え」
 「何だと?」
 「いいか、よく考えろ。奴は何で、自分の手駒で精神昂揚力者を揃えたと思う。何で、このタイミングで都合良く人数を揃えられたと思う」
 私は首を傾げた。――ふと、1つの仮定が頭に浮かぶ。成程、上泉が「寝ている」と言ったのも解る。私は気力の減衰によって、頭の回転も鈍っていたようだ。
 「つまり、最初から仕組まれていたという事か。疋田博士のお嬢さんが『没入』用の人員として幼い頃から育てられたように……」
 「他の人間もそうだという事さ。目的の為に育てられた――作られたと言った方がいいな――6人の意志を洗脳などで統一して、より具体的に、偏倚立方体に目的を入力できるようにする」
 「そうすれば、世界を救った余力を駆って、自分の目的も叶えられる……」
 「乗ってきたじゃないか。どうする? アンタだって、このプロジェクトに参加している以上、世界を救う事に興味があるんだろう? このまま、奴の自由にしていいのか?」
 上泉の言葉は、私の心を揺さぶった。だが……。
 「ふん。仮に、私があの2人を殺して後釜に納まっても、後々、私も同じように消されるかもしれない。そんなのは御免だな。それに、私にはあの2人を殺す理由が無い」
 どんな意図を持って私に話をしているのか知らないが、今の私には、人を殺して責任者になろうとするほど、この計画に執着していない。
 「いや。理由はあるぜ。この話を聞けばな」
 「なに?」
 「疋田はな、始めから『ソフィアー』を生贄にするつもりだったのさ」

 その言葉が私に与えた衝撃は、言葉に出来ないほど強烈だった。物理的なそれと錯覚するほど、息が詰まったのだ。
 「どういう、事だ。デミウルゴスとは、生贄を必要とするようなシステムなのか? いや、それ以前に、何で姉さんが生贄に選ばれたんだ!?」
 「大した理由じゃないさ」
 上泉は私の質問に対して、実に簡単に言ってのけた。
 「教育機関に顔の聞く疋田が一番初めに見つけた、自分の手駒でない精神昂揚力者。それが伊集院光璃だったというだけさ」
 「姉さんでなければならない、という理由は無いのか。……誰でも良かった。偶々、疋田博士の見つけやすい場所に姉さんが居たという、それだけで選ばれたのか」
 知らず、握り締めていた拳の骨が鳴った。怒りに任せて拳を振り上げ、机に向かって振り下ろす……前に、上泉に止められた。
 「……何の真似だ。手を離せ」
 「女の手っていうのは、机を殴るようには出来ていないだろ。怪我するぞ」
 「煩い!」
 上泉の手を振り払えなかった私は、鬱陶しいコイツを殴ってやろうともう片方の手も思い切り振りかぶった。が、その手も掴まれてしまう。私の動きが封じられた。上泉の顔を睨みつけようと顔を上げて、
 
 キスされた。

 「落ち着いたか?」
 たっぷり十秒は経った後、上泉は唇を離した。にやりと笑って手を下ろす。
 「お蔭様でな!」
 にやけている頬を、思い切り張ってやった。
 「ふん。話を続けろ」
 痛む手を振りながら、顎で向かいのソファを示す。
 「はいはい。……ま、これくらいなら許容範囲だな」
 失礼な奴だ。一発張っただけで『許してやった』のはこちらの方だ。全く……。
 「お前さんが疋田にどんな説明をされたのか知らないが、デミウルゴスシステムっていうのはな、『ニトクリスの鏡』で人の精神を汲み上げて、偏倚立方体っていう水車を回すんだ。そして、水車の回転数が一定の値を超えたとき、初めてその効果が現れる」
 「そんな事は私も知っている。だがそれは、姉さんが生贄になった理由とは関係あるまい」
 「デミウルゴスシステムは、6人の人間から精神を6分の1ずつ取り出して、偏倚立方体を回す動力にする役目を持っている。……だが実際には、最初にある事をしないと、偏倚立方体に正しく動力を伝えられないのさ」
 「ある事? しかし、姉さん1人でもシステムは起動したぞ」
 「ああ。その結果は惨々たるものだったがな。何故だと思う?」
 「……それが解れば苦労は無い」
 一週間、ほとんど眠らずに調べたのだ。この場で少し考えた程度で、何が解るというのか。
 「ポンプで水を吸い上げる方法を知っているか?」
 上泉は、唐突にそんな事を言った。
 「……知らん」
 「そうか。今の人間は、そんな事は知らんのかもな。……『呼び水』だよ」
 呼び水。それならば聞いた事がある。ポンプケーシング内に水が満ちていないと、羽根車を回しても水を吸い上げる事が、
 「そうか、そういう事か!」
 思わず手を打っていた。
 「解ったか? 先に、ある程度の精神体を偏倚立方体に入れておかないと、デミウルゴスは『鏡』から上手く精神体を吸い上げられないのさ。『ソフィアー』が事故にあったときは、デミウルゴスを動かすプログラムを変更して、『鏡』と偏倚立方体を直結していたんだろう?」
 「ああ。システムの効率化を図る為に、プログラムを変更していた」
 「そうして送り込まれた精神体は、偏倚立方体を回す為の『呼び水』として、偏倚立方体に留めおかれる事になる」
 それでは、姉さんの目が覚めないのも当然だ。『鏡』で没入した人間は、複写された精神体が戻ってこなければ目を覚まさないようになっているのだから。修正されたプログラムにバグが有ったのではなく、最初から、姉さんの精神を偏倚立方体に閉じ込める為のプログラム修正だったのだ。
  「理屈は解った。だが何故、姉さんはあんな状態になっているんだ?」
 「さてね、そこまでは俺にも解らんよ。或いは、偏倚立方体が『呼び水』を保持する為に、精神体の元となっている身体を保存しているのかもしれん」
 「そうか……。まてよ? という事は、実験を終えてしまえば」
 「ああ。偏倚立方体から『呼び水』を抜く事が出来れば、『ソフィアー』は目を覚ますかもしれないな。尤も、現状の体制では、疋田がそれを許すはずがない。どうだ? お前さんが研究責任者になる理由も、罠に嵌めた疋田たちに復讐する理由もできただろう?」
 
 「ふん……。理由は出来たさ。だが、それだけではな。私に後釜を継がせようというのなら、『犯人役』くらいは用意しているのだろうな」
 上泉のペースに乗せられるのを嫌った私は、目を瞑って腕を組み、考える振りをしながら尋ねた。
 「ああ。実は、丁度いい奴が1人居るのさ。そいつは件のプログラムを修正した奴でな、ちょっと挙動不審だったんで突いてみたのさ。そうしたら、『疋田博士に強引に頼まれたんだ。俺は悪くない』とか言い出してな」
 そんな奴が居たのか。デミウルゴスの資料を見直すのに夢中で、全く気が付かなかった。――随分と、視野狭窄になっていたな。
 「その研究者、話し終わった後は、もうボロボロ泣き出してなあ。罪悪感だか知らんが、ありゃあ完璧にノイローゼだな」
 「その男を犯人に仕立て上げる、か。気が狂れた研究者、上司を惨殺。……ワイドショーのネタには丁度良いな」
 「後はお前さんの心次第だ。……どうする?」
 私にしてみれば、そんな研究者は同情するに値しない。唯々諾々と仕事をするだけのプログラマならば、居なくなっても惜しくはあるまい。だが、もう一押し。何か保障となるものが欲しい。
 「さっきも言ったな。私が同じように消されないとも限らん。……何故、私を後釜に選んだんだ?」
 「何だ、そんな事が気になるのか?」
 「当たり前だ。こんな事を言うのは嫌だが……地位も経験も、金も無い人間だぞ、私は。少なくとも、交喙機関が私を推す理由くらいは知りたい」
 私の代わりになる人間が居るというのなら、そういった人間を排除しなければ、安心できるものではない。
 「そうだな。まず、アンタが交喙機関と関係の無い人間である事。言った通り、交喙機関も一枚岩ではないからな。派閥の横槍でこれ以上計画を遅らせたくは無い。これが1つ」
 理由を言わなければ引き下がらない、と感じたのだろう。上泉は足を組んで首を回しながら、軽い口調で言った。
 「ふん、案外まともな理由だな。次は?」
 「金や名誉に重きを置かない人間である事。金や名誉の都合で立ち位置を変えるような人間は、信用ならないからな。これが2つ」
 「これはまた、随分と高く評価してくれたものだ。……まあ、私にとっての金や名誉は、必要ではあっても重要ではないな」
 簡単に言ってしまえば、私は充実した生を送りたかったのだ。……姉さんと一緒に。金や名誉は生活を保障する為の道具であって、私にとっての一番ではない。
 「他には、そうだな……」
 「なんだ、まだ何かあるのか?」
 交喙機関が望む条件とは、そんなに厳しいものなのか?
 「そう、アンタが佳い女だから、ってのはどうだ?」
 目が点になった。――全く。今日、コイツに何度思考停止させられただろう。馬鹿馬鹿しい。
 「はは、ははははは……」
 自然と、笑いが込み上げた。
 「何だ。冗談じゃないぜ?」
 「いや、失礼。……お前も案外、普通の人間なんだな」
 「どういう意味だよ、そりゃ」
 「ははは……。で?これから、ベッドルームにでも案内すれば良いのか?」
 「ご冗談を。俺は、基本的に『来るものは拒まず』ってスタイルだが、ビジネスの話が絡んでいる時にまで、そんな事はしないさ」
 「ほう、そうなのか。まあ良い、そっちにその気が無いのに、無理に誘う事も無いだろうからな」
 私はわざとらしく肩を竦める。案の定、上泉は話に乗ってきた。
 「おっと。『今は』遠慮するってだけだ。……そうだな。事を起こした後、アリバイ作りになら協力するぜ?」
 「残念だったな。家族や恋人の証言は、証拠にはならん。そんな事、解っているだろうに」
 「そうかい? じゃあ、純粋に求める事にしようか」
 愚にもつかない会話は、一種の儀式のようなものだった。身体を重ねる事も同じだろう。――お互いを、共犯者だと認める為の。

 私は、上泉の言葉に賭けることにした。姉さんが目を覚ます。また、あの笑顔を見る事ができる。ならば、万難を排してでもそうするべきだろう。私にとっての姉さんとは、そういう人なのだ。
 ふと、姉さんの言葉が頭に浮かぶ。
 『ううん、それじゃ駄目だよ。極端な話、世界が救われても誰も残らない結末と、世界が救われてみんなが幸せになる結末。どちらが良いかは解るよね?』
 みんなが幸せになる結末は用意されていなかった。――でも、構わない。姉さんが幸せになれるのなら、私はこの身を奈落に落とそう。



   続く。
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