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zoom RSS 誕生日・小夜音編 〜試練〜

<<   作成日時 : 2007/01/01 00:00   >>

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 市街地から離れた山林の中に、アスファルトのひび割れた旧い道路がある。
 時刻は深夜。先程まで降っていた雨は止み、強い風が雲を押し流している。
 道路の両脇に広がる森は闇に沈み、風に吹かれて木々を揺らしている。その様は、得体の知れない怪物にも見える。
 昼でも通過する車の無い道路を一台の車が走ってくる。洗練された市街地が似合うような、真っ赤なロードスターだ。
 ヘッドライトを点けずに走ってきたその車は、ブレーキの音を抑えるようにゆっくりと減速し、静かに停車した。
 助手席のドアが開き、一人の少女が車外に降り立つ。少女は周囲を一瞥すると、足元に広がる水溜りを気にする事無く、真っ暗な林の前へと進んだ。
 水溜りには空に浮かぶ満月が写っている。その月の中央に立った少女は、天と地の月光に照らされて、舞台の上に立った女優のようにも見えた。

 絢爛な赤いドレスを身に纏い、一振りの刀を持つ少女――月瀬小夜音。今宵の主役である。



   〜試練〜 月瀬小夜音



 裏の世界に名を知られる日本の戦闘集団、月ヶ瀬。
 近畿地方に基盤を持つ月ヶ瀬は、バブル景気の崩壊と共に破綻した山中のホテルやゴルフ場などの不動産を押さえて、大規模な土地を私有地としている。
 こうした土地は自然環境保護と共に、月ヶ瀬の国内訓練場としての役割も果たしている。
 小夜音が足を下ろした場所もそうした土地の一つ。ゴルフ場の入り口を示す看板を視界に納める場所だった。
 小夜音は周囲を見回した。目に見える範囲内の地面は随分と濡れて、所々に水溜りが見える。
 闇に覆われて見えないが、林の中の地面も滑りやすくなっている事だろう。
 満月を雲が覆い隠し、周囲が闇に落ちた。小夜音は空を見上げて流れる雲の速さを確認する。
 (この天候が、吉と出るか……凶と出るか……)
 そんな事を思いながら、目の前の林に向かって歩く。
 「それじゃあ、頑張ってね」
 小夜音をここまで送り届けた母・夕貴が、その背中に向かって声をかけた。
 「はい。回収の手筈は打ち合わせ通りにお願いします」
 夕貴が頷くのを確認してから、小夜音は腕時計に手を添える。毎度繰り返される、訓練開始の儀式のようなものだ。
 「では、時間合わせを」
 『五……四……三……二……一……スタート』
 小夜音と夕貴は声を合わせて、時計のタイマーを合わせる。
 雲が流れて満月が再び顔を出す。その時にはもう、小夜音の姿は林の中に消えていた。


 限られた時間内に、廃墟となったゴルフ場の建物を拠点とするテロリストに扮する月ヶ瀬の戦闘員を偵察し、小夜音を回収に来る車の運転手に報告する。それが今回の訓練の内容、の筈だった。

 小夜音は足音を忍ばせたまま、木々の間を早足で歩く。予想していた監視員との接触も無く、三十分程でゴルフ場の建物に辿り着いた。
 木々の間から建物の様子を窺うが、歩哨に立っている人間も居なければ、人が巡回しているような気配も残っていない。
 (向こうも当然、私の事を警戒している筈なのに)
 相手役となっているのも月ヶ瀬の人間だが、小夜音が相手だからといって手を抜くような事は無い。小夜音は、いずれ彼らが命を預ける事になる次期当主である。今回の訓練を機に小夜音の実力を試してもおかしくない、そんな人間たちばかりである。
 単眼式の暗視装置から目を放しながら、僅かに首を傾げる。姿は見えないのに、見られているという感触を感じる。
 (嫌な感じ……)
 小夜音が背中に悪寒を感じた次の瞬間、投光機の光が真直ぐに小夜音を照らした。
 「……っ!」



 小夜音は僅かな月明かりに照らされる木々の間を、静かに駆け抜ける。
 (与えられた情報を鵜呑みにしないというのは、当たり前の事ですが……)
 行儀悪く舌打ちをし、そんな自分を戒めながら考えを巡らす。
 足を止めてから一分と経たずに自分の場所を見つけられた。恐らくはある程度の確信を持って見張られていたのだろう。
 結局のところ、この訓練は「どう偵察するか」ではなく「どう逃げるか」という目的なのだろう。その事に気が付くのが遅かった。
 (勿論……無事に逃げ遂せて、尚且つ相手の情報を得ろという事なのでしょうね)
 小夜音はそう結論付けた。
 自分を追ってくる気配を振り切らないように走り、回収地点までのルートを遠回りしながら駆ける。
 逃げ回りながら出来る情報収集として、小夜音が採った方法だ。そうする事で、追手の数や実力をを確認するのが目的である。
 人工の灯りが無い夜の森は暗く、全てのものが影と化す。そんな中を、ドレスの裾を引っ掛けることもなく小夜音は走り続けた。

 僅かな時が過ぎ。
 回収地点に迎えの車が到着するまで、残り時間は約十分。そろそろ全力で走り、追っ手を振り切る頃合だろう。
 呼吸を切り替え、全速まで力を込めようとする小夜音の右前方に、唐突に気配が湧く。
 「……っ」
 小夜音は反射的に右側に跳び、更に速度を上げる。自分に向かってくると思わなかったのか、相手が息を飲む気配がした。
 交差は一瞬。腕を上げて拳銃を撃とうとする相手の脇の下を抜け、すれ違いざま、右肘を相手の脇腹に叩き込んだ。防弾チョッキの硬い感触が肘に伝わるが、それに構わずに打ち抜く。
 相手が動きを止めるのを気配で確認しながら、小夜音は立ち木で背中を守るように走る位置を調整した。
 視界の悪い森の中で拳銃を撃っても当たるものではないが、撃たせないに越した事は無い。実弾であるなしに関係なく、火薬の匂いというものは人間でも識別できるし、サプレッサーを使っても音が完全に消せるわけでも無いからだ。
 同様の理由で、小夜音も拳銃を懐に納めたまま、一度もグリップを握っていない。
 (最後まで使わずに済めば良いのだけれど、そう簡単ではないわね)
 追っ手の気配を振り切った事を確認しながら、小夜音は愚痴る。


 回収地点のすぐ傍まで続く木々は、走る車も無いのに山を切り開いて道路を通した結果だ。その証拠に、車線を拡大する工事も途中のまま、機材が放り出されている。
 ゴルフ場と山を所有していた会社が、道路工事の途中で倒産した為だ。人の手が触れなくなった人工物は朽ちるのが早いなと、場違いな感想を思う小夜音である。

 小夜音を迎えに来る車が停車する場所は、パーキングのように一部分だけが二車線になっている場所だ。森に向かう引込み車線が中途半端に作られた結果だろう。道路の周囲にある赤土もローラー車で固められている。
 森の端から回収ポイントまでは、直線距離で約十メートル。夜まで降り続いた雨の所為で、ぬかるんだ赤土が広がっている。
 (……やはり、居る)
 小夜音は月光に照らされる地面の中に足跡を見つけた。訓練の経過を考えれば、およそあり得ないほどの不手際である。
 ……が。
 (最終試練……ですか)
 故意に足跡を残したのだろう。小夜音はこの場所に伏せる相手が誰であるかを予測する。
 小夜音は自覚ていなかったが、その口の端は、自然に持ち上がっていた。

 ここからは、心理的な駆け引きも重要になる。
 小夜音は振り切った追っ手と目前の敵に挟撃されないように注意しながら、回収ポイントに迎えが来るのを待ってそれに乗ればいい。
 対する相手側は、小夜音に強行突破されぬように足止めをして、味方が集まるのを待てば良い。但し、回収ポイントの詳しい位置を知らぬ為、広範囲に注意を払う必要がある。
 (最も、車を寄せる場所が限定されるので、それほど難しくは無いでしょうね)
 当然ではあるが、工事中の道路は様々なものが転がっている。車の進行を妨げるようなものが在る場所には止まらないということぐらい、少し考えれば分かるだろう。
 小夜音は居場所を気取られぬように注意深く移動しながら、周囲の気配を窺った。
 残された足跡を考えれば、道路の傍に転がる重機の裏側に身を隠しているのだと判断できる。だがそれでは、小夜音の様子を窺うのに、物陰から身を出さねばならない。身を隠しておきながらその有利な状態を自分から捨てるのでは、隠れる意味が無いだろう。
 (ならば何処に隠れる? もし私が待ち伏せる側になるとしたら、何処に隠れる?)
 限られた時間での自問自答。
 道路沿いのこの場所を一瞥できる場所。
 こちらが身を出した時に様子を窺える場所。
 有利な立ち回りの出来る場所。
 射線の通る場所。
 (考えられるのは『背後』だけれど……)
 森と赤土の境界線沿いには、自分以外の気配を感じない。もっとも、相手が本気で気配を断とうとすれば、限られた時間内に自分が見つけ出すのは難しい。
 (結局は賭けになる、か)
 限りなく正解に近いルートを選んでも、必ず一度は攻撃を受けるだろう。ならば、こちらはこちらで有利に戦える場所を選ぶべきだろう。
 やはり、赤土が固められている場所を選んでおいて良かったと小夜音は思う。ぬかるんだ赤土に足元を取られないように気をつけて戦うのは骨が折れる。強敵を相手にする時には、少しでも不確定要素を排除したい。

 冷静に、明晰に。思考をクリアに。
 自分に言い聞かせながら僅かな時間を待つ。木立の陰で夜空を見上げると、満月に向かって雲が流れる。
 (雲……月が隠れるか)
 腕時計に目を落とす。残り二分。もう直ぐ回収車が、夕貴が来る。
 僅かな時間の後、満月が雲に隠れた。
 (のこり二十秒……いける!)
 小夜音は覚悟を決めて走る。
 一歩目。
 二歩目。
 三歩目。
 四歩目を出す前に、背後から強い殺気を感じた。
 (やはり背後。しかも、上……っ!)
 小夜音は自分の直感を信じ、四歩目の足を踏み出そうとした力を無理矢理反動に変えて、バックステップする。
 背後から扇状に三本の手裏剣が飛び、小夜音の頭上を越えて目の前の地面に刺さった。その時にはもう、小夜音の背後に殺気を伴った気配が生まれている。
 (ちいっ!)
 心の中で舌打ちしながら、バックステップで着地したバネを活かし、三角跳びの要領で前方へ跳ぶ。
 背中を死神の手が撫でていく。小夜音は空中で身を半転し、その勢いを利用して抜刀した。
 キイィ……ン!
 甲高い音が響く。刀と刀が打ち合わさる音だ。
 小夜音は相手の追撃を牽制しながら、ゆっくりと体勢を整える。
 (誘いに乗ってくれた。殺気など出さなくても、私を打ち倒せたはずなのに……)
 真正面から戦うなど愚の骨頂であるが、相手が戦う為の段取りをしていたのであれば、簡単に逃がしてくれるわけも無い。
 相手の用意した舞台に乗った上で、振り切って逃げる。言うは簡単であるが、目の前の男を相手にしてそれが出来るのだろうか……?
 (いえ、なさねばならない、ですね)
 小夜音は素早く気持ちを切り替えると、目の前の父親――月瀬弦一郎――と正対した。



 雲が流れ、満月が再び顔を出す。
 月明かりの元で相対する小夜音と弦一郎。剣の師とその弟子は、無言のままで対峙する。
 間合いを詰めたのは飛び道具を使わせない為か。思考の端にそんな事を思い浮かべた瞬間、弦一郎は必殺の速度をもって襲撃する。
 袈裟懸けに切りかかる一刀を弾き、返す刀で舞い戻ってきた相手の一刀を弾く。弾いたはずの男の刀が三度閃き、咄嗟に半身でその刀をかわす。鼻先を通り過ぎるその刀を見ながら、かわした反動を利用して逆袈裟に切り上げるが、男は僅かに引いて間合いを開けた。
 (攻撃を弾いた私の刀より……弾かれた刀を戻して切り返す方が……速いなんて……!)
 三十分走り続けても息切れしない小夜音が、今の僅かな立ち合いだけで息切れしていた。
 今の小夜音には成しえない体捌き。弦一郎と正面から打ち合うには、今の小夜音の技量では足りない。
 休ませる暇など与えぬとばかり、弦一郎が再度襲いかかる。先程と同じ、袈裟懸けに切りかかってくる刀。
 その速さ、その角度から、小夜音も先程と同じ弾き方しか出来ない。それが相手の狙い通りの戦いの組み立て方だとしても。
 袈裟懸けの刀を弾き、返す刀でもう一度相手の刀を弾く。弾かれた弦一郎の刀が再度翻り、必殺の一刀が、防ぎようの無い刃が閃く。
 (くっ……!)
 膝の力を抜く。刀の動きだけそのままに、体全体が僅かに沈む。ほんの僅かな時間を生かして、頭と刃の間に自分の刀を差し込む。
 「し……っ!」
 呼気を吐き出しながら、曲げた膝を伸ばす勢いを利用して、弦一郎の刀を押し上げる。ギャリッ、と刀が噛み合って、鍔競り合いとなった。
 刀越しに、二人の視線が絡まる。弦一郎が微かに笑うのが見えた。
 その時、突然の灯りが二人を照らした。夕貴の乗るロードスターが小夜音を回収に来たのだ。
 「くっ……」
 小夜音にとっての『最悪の状態』は、回収者と二人して相手側に捕まることだ。今のまま膠着状態が続けば、撒いてきた追っ手が集まり、最悪の状態になるだろう。
 焦れる小夜音の踵に、弦一郎が打った手裏剣が当たった。
 (……っ!)
 一瞬の閃き。
 小夜音は弦一郎の力に負けるようにして僅かに後退する。
 自然な足使いに見えるようにしながら、踵に当たっていた手裏剣が爪先に来るように足を動かした。
 車が近づいてくる。三秒。二秒。小夜音はタイミングを計り、全力で弦一郎を押して間合いを開ける。弦一郎はそれを承知していたのだろう。大きく体勢を崩すことなく、身を翻す小夜音を切りつけた。

 否、切りつけようとした。だが果たせなかった。何故なら、弦一郎の正面に異物が飛んできたからだ。
 小夜音が爪先で手裏剣を蹴り上げたのである。

 泥を散らしながら回転する手裏剣は、狙いを過たずに弦一郎の顔に飛ぶ。飛んでくる手裏剣の軌道を予測して、弦一郎は僅かに顔を反らす。
 その直後、反らした弦一郎の顔を目掛けて、小夜音の刀が空中で回転している手裏剣を打った。
 「む……っ!」
 弦一郎にとっても不意の一撃だったのか。避けた拍子に体勢を崩し、泥の中に膝を落とす。
 追撃を予測して刀を構える弦一郎。だが、その目が捉えたのは、オープンカーの助手席に身を落とす小夜音の姿だった。
 立ち上がる弦一郎を牽制するように、その足元に銃弾が打ち込まれる。小夜音の手には、いつの間にか拳銃が握られていた。
 弦一郎が重機の陰に身を隠す間に、小夜音と夕貴を乗せた車が走り去っていく……。



 深夜の道路を走るロードスターの中。 

 夕貴が口を開いて、助手席に座った小夜音に尋ねる。
 「……随分と手間取ったようね?」
 助手席の小夜音は無言のまま、その質問に答えなかった。
 信号待ちで車が止まる。派手な車に乗る派手な姿をした二人の女性を見て、隣や後ろに止まった車の運転手が目を剥いていた。
 そんな周囲を気にする事無く、夕貴は小夜音の頬を突いた。
 「小夜音さん? お返事してくれないと、お母さん、悲しくなっちゃうな」
 小夜音は不貞腐れた表情で、ようやく口を開いた。
 「……不本意でした。……お母様、ちゃんと運転して下さい」
 「はいはい。……まずは家に帰って、ゆっくりと体を休めましょうか」
 ハンドルを握りなおした小夜音の母は、不貞腐れている娘を見て笑った。
 信号が青に変わると同時、ロードスターは猛ダッシュで走り出した。
 体がシートに押し付けられる感触を味わいながら、小夜音はゆっくりと目を閉じる。
 (まだまだ……お父様には、適いませんね。……解っていた事ですが)
 疲れが眠気を誘う。家に着くまでの僅かな時間、小夜音は意識を手放す事にした。



 「報告は以上です」
 「うむ。小夜音、ご苦労だった」
 「……はい」
 小夜音が母と共に家に帰ってから四半時。父とその部下達が帰ってきた。小夜音は訓練の経過を報告するが、弦一郎の言葉はあっさりとしたものである。
 「……不満そうだな?」
 厳粛な面持ちから一転、不満を表情に表す娘を面白そうに眺めながら、弦一郎が問いかける。
 「完璧主義なのも構わんが、なすべき事を成し、生きて帰ることが肝要だ。それ以上の事は全て……いや、今更お前に言うことでもないな」
 小夜音は不貞腐れたままで、父の言葉に反論する。
 「私はお父様の余裕に助けられただけです。実戦であれば、私は生きていませんでした」
 「ふふ……余裕か。そもそもこの訓練の目的は、お前の実力を確かめる事だった筈だがな。私はお前の剣を確かめたに過ぎん。それでは不服か?」
 その言葉に、小夜音の顔はいっそう渋いものになる。
 「お前は与えられた状況の中で、最善となる行動を考え、自分に有利になるように立ち回った。それで十分」
 「……解りました」
 未だ納得できないものの、父の言葉を素直に聞いて引き下がる。
 「小夜音。お前は物事の事象を把握し、自らの理想とする未来を呼び寄せるだけの力が有る。その天運を自覚し、その力におぼれる事なく精進しろ」
 「天運、ですか……」
 小夜音は微かに首を傾げて、言葉をなぞる。そんな小夜音に対し、弦一郎は携えてきた刀を差し出した。
 「さて。……それでは約束通り、この刀をお前に渡そう」
 そう言って差し出された一振りの刀。『三池典太』を見て、小夜音は驚いた。
 「え……? お父様、それはつまり……」
 「合格だ。正式な襲名は後になるが、これからはお前が月瀬の総帥だ」



 小夜音が部屋を退出した後、隣の部屋で話を窺っていた夕貴が、弦一郎の元に歩み寄った。
 「ふふ……あなた、少々甘過ぎるのではないですか?」
 「む、そう思うか?」
 「ええ、とても。……それに『天運を自覚しろ』なんて、そんな難しい言い回しをしなくても、自身(自信)を持てと言えば済む事じゃないですか」
 「むう……しかし、小夜音は『運も実力のうち』と言う言葉は好きではないしなあ」
 「そういう気の遣い方も、甘いと言っているのですよ?」
 軽く唸って反論する夫を、一言で切って捨てる妻。
 「もっとも、小夜音の能力は申し分無し。後は精神が成熟するのを待つだけですけれどね」
 「……そうだな」
 訓練の内容が打ち合わせ通りで無い事に気が付き、見事に対処して見せた。逃げ遂せるだけで十分だった訓練なのだが、しっかりと追手の数や能力を見極めて、弦一郎に報告している。小夜音の年齢を考えれば、それは過ぎた能力ともいえる。
 だが、小夜音は自身の能力を過信せず、それが当然だと思っている。それ故に、父の余裕に助けられたと思って不貞腐れていたのだ。
 その子供っぽい癇癪が、言い換えれば潔癖さが、微笑ましくも危なっかしいところだった。
 精神が成熟するまでの時間を十分に取れないことは、父親も母親も理解している。だからこそ、時期が早いのを承知していながらも、跡目を継がせるのだ。責任が娘を押し潰す事無く、精神を鍛えると信じて。
 「もっとも……私としては、もっとこの腕の中に居てほしかったと思っていますけれど」
 「それは、私も同じだよ」



 小夜音は脱いだドレスを両手で広げて、その状態を観察した。
 赤いドレスは破れこそしなかったものの、散々に泥が跳ねた為に酷い有様になっている。
 (こんなもの、自分が目指す『理想』には程遠い……)
 小夜音は軽く溜息を吐くと、汗を流す為に浴室に入る。
 熱いシャワーを頭から浴びる。目を閉じて、先程の父の言葉を思い出す。
 (天運ですか……自覚しろと言われても、自分の望む未来を手繰り寄せるような事なんて……まるで神様ではないですか)
 自分の考えに呆れてしまう。自分の実力で、自分の理想に手が届くのだ。神様などに頼る必要など無いではないか。
 ましてや、有るかどうかも判らない自分の『天運』など、どうやって利用しろというのだ。
 気分を変える為に、両手で自分の頬を張る。シャワーのお湯が手と頬の間に入り、考えていたよりも大きな音と痛みを感じた。
 「っ痛……!」
 暫くの間、顔を両手で挟んだ状態で、プルプルと震えながら痛みに耐える。
 「……ああ、もう!」
 八つ当たりのように蛇口を捻り、シャワーの湯量を多くした。滝に打たれる修験者のようになりながら、なんとか心を落ち着かせる。
 (未熟……反省、しなきゃ)
 自分でも子供っぽいとは解っている。でも、自分の理想が目の前に見えているのに、現状で妥協して諦めてしまうのは癪ではないか、と思うのだ。
 (天運、天運か……そんな言葉一つで片付けたくは無いけど……そんなものが私に有るのなら、どうか私の願いを叶えてください……)
 馬鹿らしいと思いつつも、そんな事を考える。自分の実力だけではどうにもならない事も、この世の中にはあるのだから。
 例えば、この胸の爆弾が破裂する前に、自らを完成させたいとか。
 あるいは、母が父と出会えたように、自分にも素敵な出会いがありますように、とか。
 その、あんまりにも乙女チックな考えに、自然と口元に笑みが浮かんだ。
 鏡に映った自分の笑顔を見て、小夜音は『よし』と気合を入れた。疲れた体に活力が戻る。
 「理想の自分に近づく為に、まずは女を磨きましょうか」
 素敵な出会いがあったとしても、『自分に魅力が無くて逃げられました』なんて、笑い話にもならないのだから。


 この日、月瀬小夜音は十六歳になり、第二三代目の月瀬家総帥となった。



 おわり



 余談ですが、車はポルシェ・ボクスターの986型をイメージしています。本当、関係ないですけどね。

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 ちょこちょこと修正すると、文章の前後で不自然なところがありますね。(森といったり林といったり……)
 大きな問題のあるような場所は無くしたつもりですが、気が付いた点の駄目出しとか、いくらでもOKですよ。
A-O-TAKE
2008/12/08 07:50
誕生日・小夜音編 〜試練〜 A-O-TAKEの隠し部屋/BIGLOBEウェブリブログ
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