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zoom RSS 妃宮さんの中の人 2-EX-2

<<   作成日時 : 2010/12/29 19:50   >>

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 初音さんの気持ち。

 本当は伏線として配置する予定だったんですが……色々とごたごたしてしまったので、分離したものです。
 本編に組み込めればよかったんですけどね。
 
**********

「ふう……疲れた……」

 溜め息を吐きながらの呟きが、喧騒の去った廊下に響く。
 溜め息の主は皆瀬初音。聖應女学院の三年生にして生徒会長。もう一つ肩書きを付けるなら、本年度のエルダーシスター候補と云ったところだろうか。
 初音が溜め息を吐く理由。それは、この学院ならではの選挙活動――投票宣言――の為だった。
 他薦のみと云う珍しい選出方法である、聖應の生徒たちの頂点に立つ存在、エルダーシスター。
 その選挙活動というのは、候補者となる相手に対して「貴女に投票します」と衆人の前で宣言することにより、その人物を周囲に注目させるという方法が取られる。
 エルダー候補となっている初音にも、生徒会業務を終えて帰ろうと部屋の扉を開けた途端に、初音を慕う下級生たちが集まって投票宣言を行なったのだ。
 初音を慕う者たちしか居ない場所で投票宣言を行なっても、それは本末転倒なのだが……それはともあれ、初音はそうした下級生たちを丁寧に捌き終えたところだった。

「みんなもゴメンね。疲れているのに迷惑かけちゃって」

 勿論それは一人でしたことではなく、気の良い生徒会の同僚と共に捌いたのであるが。初音の申し訳なさそうな声に一番に反応したのは、副会長である烏橘沙世子だった。

「毎度のことだけれど……気にしないでいいのよ、初音。好きでしているんだし」
「そうですよ〜会長。会長の為ならば、たとえ火の中水の中、それが副会長なんですから……なんちゃって」


 軽い口調で相槌を打つのは、二年生の生徒会書記である土屋さくら。沙世子の云う「好き」の意味を理解しているさくらは、それを茶化すようにして嫌らしく笑う。

「あのねぇ……まあいいわ。どちらにしろ、このお祭り騒ぎも今日で終わりなのだし」

 さくらの言葉に肩を竦めた沙世子は、云い争う愚を避けて話題を変えた。
 さくらは昨年から生徒会の手伝いとして生徒会室に入り浸り、結果としてその人となりを良く知っている沙世子としては、自らの姉――烏橘可奈子という――に近しい性格のさくらには絡まないことにしているのだ。

「終わってみると案外楽しい……とは、さすがに云えないな〜。ま、来年は気を抜いていられるから構わないんですけどね〜」
「なんだ、つっちー。まるで来年のエルダー選挙は自分に関係ない、みたいな云い方だぞ」


 何が楽しいのか廊下でクルクル回りながら云うさくらに、生徒会会計の立花耶也子が呆れた視線を向けながら云う。

「んん〜? 何故かと云うとだね、ややぴょん。来年のエルダーは既に決定されているようなものだからなのだよ。生徒会長になったからと云って、エルダー候補になるとは限らないしね〜」
「ややぴょんと云うなと……いやそれよりも、つっちーの中では自分が生徒会長になることは決定しているのか……?」


 確かに現生徒会の二年生はさくらしか居ないが、基本的に世襲制である生徒会だからと云って、外部から生徒会長が選ばれないわけではない――初音の姉、上岡由佳里がそうであったように――のだが。

「はいはい、今の時期から来年の話をしてどうするの、貴女たちは」
「そうですよ、二人とも、鬼が笑っちゃいますよ?」


 笑いながらの初音の台詞に、さくらと耶也子は動きを止めて沙世子を見る。

「……それは、どういう意味?」
「おおっと、何でもありませ〜ん! では、私たちは職員室に日誌を返してきますので、後は宜しくお願いしま〜す!」
「ちょ、こら、引っ張るな! お姉さま、私は別に――」


 何事か云い訳をしようとする耶也子を引っ張りながら、さくらが廊下を去っていく。職員室は校舎の一階端なので、廊下の端に在る階段を降りる心算なのだろう。
 目の前にある校舎中央の階段を使うのと、どちらが早いかと問われても困るのであるが。

「逃げたわね」
「ふふっ……さ、私たちも帰りましょ、沙世ちゃん」
「……そうね」


 果たしてさくらは逃げたのか、それとも沙世子に気を使ったのか。ともあれ、沙世子は初音の言葉に従って、二人並んで階段を降りた。

「初音はどう? 名残惜しい、とか考えたりする?」
「投票宣言のこと? う〜ん……どうだろう。ただ、今年は去年よりも凄かったな、とは感じたけどね」
「……それは、仕方が無いんじゃない? 去年は二人、今年は四人。内一人の候補者には投票宣言は行なわれてないけれど、競争相手が多ければ積極的にアピールして注目を集めようとするものだから」


 一人頭の支持者が減ったことにより、対立候補の票を自分の支持者に集めようとする為に、却って選挙戦が激しさを増したのだ。より注目を集める為にと、人の集まる場所では必ず何かしらの宣伝がされていた。
 沙世子としては、派手になるようなら自粛を呼びかける心算であったのだが……そうなると初音の票が減ってしまうかも知れないと考えてしまい、結局は見て見ぬふりをすることになってしまった。

「どちらにしても、ここ数年では一番豪華なエルダー選になるのは間違いないわね。さくらじゃないけど、来年のエルダーはもう決まっているようなものだし……」
「雅楽乃ちゃんかぁ……わたしも、あの子ぐらい落ち着いていられたら良いのになぁ……」


 ふにゃり、と云う感じで初音の眉が下がる。
 時に百面相にも例えられる初音の表情は、内心を映し過ぎてしまうのが問題だった。それが原因で自分に威厳がないと考えている初音であるから、その表情の変化を楽しんでいると云えない沙世子であったりする。

「……初音に求められてるのは、そういう方面ではないと思うのだけれど」

 結局、沙世子は当たり障りの無い云い方で場を誤魔化すのだ。

「こう、何と云うか……アットホーム的な……」
「はうっ!? ……沙世ちゃん、私、やっぱりお母さんっぽいのかなぁ?」
「あ、いや、ゴメン、間違えた……」


 母親が大好きな初音としてはそれはそれで嬉しいのだけれど、年頃の少女としては、やはり異性から魅力的に見てもらえるようになりたいところだった。

「べ、別に所帯じみてるとか、そういうわけじゃないから。ほら、なんて云うの? そう、包容力!」
「ううっ……沙世ちゃん、フォローされると却って……」
「ああっ、もう」


 なんて面倒臭い、と頭を抱える沙世子。
 初音は常に前向きな性格だと思われがちだが、実は自分の事に関しては内向きで、色々と問題を溜め込んだりする。
 それは本人の優しさからくる、自分の悩みよりも他人を優先するという思考からなのだが、それは自分の問題を自分で解決することに慣れていない、という弊害もあるのだ。
 自分の問題を自分で片付けられないから、尚更にそれを後回しにして他人の事を考える……悪循環である。
 だからこそ沙世子のような、ある種の冷徹さを具えている人間が傍に居て、初音の面倒を見ているのであるが。初音の姉――先代の生徒会長である由佳里から頼まれたとはいえ。

「……私ではまだあの人のようにはいかないわよね」
「えっ? なあに、沙世ちゃん?」
「なんでもな〜い」


 時に意地悪をしたり、あるいは持ち上げてみたり、由佳里は初音をリラックスさせるのが上手だった。
 もう一つの有名姉妹――奏と薫子――と共に、聖應で知らぬ者のない名コンビだったのだから、それと肩を並べるのは無理があると云うものだ。
 信頼され、信用されているのは分かっているが……慕われている、と云えないのが沙世子の辛いところだった。
 そんな雑談を交わしながら階段を降り、一階と二階の踊り場に差し掛かったところで、突然、校舎の外から歓声が上がった。

「……何? 騒がしいわね」

 沙世子が眉を寄せながら窓へと歩み寄り、歓声のする下方へと視線を向ける。
 今の時期に生徒たちが歓声を上げるようなことなど一つしかないのだが、それでも確認してしまう辺りは沙世子の生真面目さだろう。そして、それ故に嫌なものを見てしまったりもするのだが。

「……何、あれ」
「ど、どうしたの、沙世ちゃん?」


 沙世子の声が氷点下に下がったのを聞いて、初音もまた窓の下へと視線を向けた。
 そこに見えたのは、生徒たちの間を擦り抜けていく薫子と、優雨をお姫様のように抱き上げている千歳の姿。
 千歳は生徒たちの囲いを抜けると、一度校舎の方へと振り向いて軽く会釈して――お別れの挨拶だろう――から、薫子の後に付いて行く。
 あっと思う暇も無いほどの早業で、二人は桜並木の向こうへと去っていった。

「あの二人はまたあんなことを……」
「……」


 その場に初音が居るのを忘れ、沙世子が苦々しい声を出す。
 こういう時に自制が利かないのは沙世子の欠点だが、はっと気が付いて慌てて初音の方を見ると、初音は二人が去っていった並木道をじっと見詰めていた。どうやら沙世子の声を聞いていなかったらしい。

「初音?」
「……えっ?」
「……まさか、見惚れてたとか云わないでしょうね」
「ううん、違うよ……ただ、お姫様抱っこなんてしちゃったら、みんなが騒ぐのも仕方が無いよね」
「……?」


 微妙に会話がずれていることに沙世子は首を傾げるが、初音の頬が赤くなったりしていないところを見ると、別に見惚れていたわけではないのだろう。
 沙世子は肩を竦めると、初音を促して階段を降り始めた。興奮して騒いでいる生徒たちを鎮めなければ、シスターたちが来てお叱りを受けてしまうだろうから。

 初音と長く付き合っている沙世子にしても、初めて見る表情がどんなものかを判断するのは難しいことだろう。
 初音の顔に浮かんでいたのは、ほんの僅かな嫉妬だった。



 決戦前日のエトセトラ 2




 その日の夕食後。
 初音は、熱を出して休んでいる優雨の世話を済ませた後、自室に戻って本を読んでいた。
 尤も、本の内容は頭に入ってこない。もやもやとした気持ちを抱えたまま、なんとはなしにページを捲っていた。
 夕食前に香織理たちに励まされたものの、そう簡単に気持ちの整理が出来るわけではないのだ。

 夕刻に見た千歳と優雨。優雨との距離感が掴めずに、微妙に避けられている自分。
 上手くいかない。そう思いつつも、それを解決する手段が見つけられない。
 初音は二年前、自分が憧れる姉――由佳里の住む寮に入ることになったとき、舞い上がって上手く話せなかったことを思い出す。
 中学生の時、学院祭で見た由佳里の姿。それに憧れて、だから由佳里が姉になってくれて、とても嬉しくて。
 だから、という訳ではないが。
 優雨が自分から初音を姉に、と云われてとても嬉しかったのだ。
 初音が由佳里から沢山のことを教わったように、初音もまた優雨に色々なことを教えたかった。自分の時とは違って一年しか一緒に居られないが、それでも、素敵な姉妹関係を築けたら良いと思っていた。
 ……なのに。

「はあ……」

 溜め息が、静かな部屋に響いた。
 遂に初音は本を読むことを諦めて、ぱらぱらとページを流し始める。

「あっ」

 何かに気が付いたその手が不意に止まり、慌ててページを戻していく。辿り着いたのは、一枚の写真が載せられたページだった。
 初音は写真の中に写されている、有名な彫刻の名前を呟く。

「……サン・ピエトロのピエタ」

 ミケランジェロの最高傑作であり、磔刑に処されたのちに十字架から降ろされたキリストと、その亡骸を腕に抱くマリアをモチーフとする彫刻。
 何故、その写真が目に留まったのか。勿論、その彫刻が素晴らしいものだということは云うまでもない。だけどそれだけではない、何か。
 暫く考え込んだ初音は、不意に、夕刻の事を思い出した。
 ほんの一瞬、校舎の方へと振り向いた千歳の姿。
 白い夏服と、銀色の長い髪。肌の色も白。そんな千歳が、写真に写る大理石で作られたマリアと重なる。

「みんなが夢中になるのも分かるなぁ……私なんかが相手じゃ、手も足も出ないよね……」

 綺麗なものというものは、それだけで人を魅了するものなのだ。まして千歳は物云わぬ冷たい大理石ではなく、躍動感溢れる生者なのだから。
 苦笑交じりに本を閉じた初音は、伸びをして体を解す。椅子に座って考え込んだまま、思ったよりも長く同じ姿勢で居たらしい。

「ううん、そんなこと云ってちゃ駄目。香織理ちゃんだって他人と比べるようなことじゃないって云ってたじゃない。私は私なりに頑張らなきゃいけないんだよね」

 初音は声に出して自らの決意を音にする。不思議と、頑張る為の力が湧いてくるように思えた。

「あ、いけない。お風呂に入らなきゃ」

 時計を確認した初音は、着換えや道具を用意してから部屋を出た。





 一方、少し時間を巻き戻して。





 薫子は食事を終えて一服した後、再度、千歳の部屋に訪れていた。食事前の話では混沌とした状態になってしまったので、千早とまともな話が出来なかったからだ。

「ねえ、千早。あたしさっき聞き忘れたんだけどさ」
「なんでしょう?」
「優雨ちゃんに、天使って説明したのはどうして? 優雨ちゃんは信じてくれたみたいだけれどさ、普通、ありえないでしょ」
「ああ、そのことですか。……えっと、千歳さんから話は聞いていますか?」

『優雨ちゃんが私のことを天使さまって云った話? ちょっとだけ話したけど』
「うん、まあその話も含めてなんだけど。結局どういうことなの?」

 優雨の家がキリスト教徒の家系だという話は聞いたことが有る薫子だが、まさかそれだけで、千歳=天使となったわけではないだろう。

『薫子ちゃんは、優雨ちゃんと最初に会った時のこと、覚えてる?』
「ん? まあ、一応。香織理さんと千歳が優雨ちゃんを連れて来たんだよね。……そう云えば、あの時から優雨ちゃんは千歳に懐いてるみたいな感じだったなぁ」

 薫子は指を頤に当てながら、そのときのことを思い出す。

「ああ、あの時食べた南瓜のクリームグラタンは美味しかった……」
「いや、薫子さん。それ思い出す必要ないですから」

『あははっ。また今度作ってあげるねっ』

 別の方へと思考が飛んだ薫子を見て笑いながら、千歳はそのときのことを話し始めた……。



「ふ〜ん……それって結局、初対面でいきなり天使さまって呼ばれたんだよね? その後に千歳に懐いたのは、まあ……分からなくもないけれど」

 千歳の話を聞いた薫子は、首を傾げながら云う。
 親身になって話を聞いたり、食の細い優雨の為に料理を作ったり。そういうことがあった後ならば、優雨が千歳を天使と呼んでもおかしくは無いだろう。
 しかし、そういったことが起こる前、初対面で……となると、薫子にはどうにも理解できなかった。

「優雨にとっての天使と云うのが、どういう存在なのかということなんですよね……」

 暫しの沈黙の後、何事か考えていた千早が口を開いた。

「千早には何か分かるの?」
「分かるというか……天使というのは、そもそも『御遣い』……つまり、神の使いなんです。そしてその御遣いというのは、良くあるような天使の羽根なんて無い、普通の人間の姿なんですよね」
「へえ、そうなんだ……」
「女性的な姿や、やさしい男性としての姿が一般的ですから……優雨は別に容姿を見てそう云ったわけではなく、もっと別の理由が在った筈です」

『目を開いて最初に私を見た時に、いきなり天使さまって云ったんだよね』
「……それってつまり、一目惚れみたいなものなのかなあ?」
「……あるいは、正しい意味での神の使い――自分をここから連れていってくれる存在として、千歳さんの姿に幻想を見たのか」


 難しい云い回しをする千早に、薫子は首を捻って理解しようと努めるものの……結局は、頭を掻いて考えるのを止めた。

「……まあ、優雨ちゃんの考える天使さまは、この際脇に置いて。今は千早の話に戻ろうか」
「ああ、そうでしたね。とは云っても、それほど難しいわけじゃないんです。キリスト教の教義では幽霊の存在は否定されていますから――」
「え、そうなの?」


 そもそも死者の魂は、直ちに天国か地獄か、あるいは煉獄かに移るとされる。天国の霊は幸せであるからこの世に出てくる必要はないし、地獄の霊は永遠の責め苦を受けているので出ていく自由はない。煉獄も贖罪が終るまでは、勝手にこの世に出てくることはできないと考えられる。なので、地上に存在する幽霊は在りえない筈なのだ。

「――否定されていますから、千歳さんの存在を説明する時に、ついとっさに云ってしまったんです。キリスト教では、幽霊は死者の魂ではなく天使や悪魔が死者の姿をとって現われたものだ、と教えられるらしいので」
「あ〜、なるほど。そりゃさすがに『悪魔だ』とは云えないもんねえ。それで天使になったわけか」

『ふええ〜……ちーちゃんは凄いねぇ。あの一瞬で、そこまで考えたんだ』
「……まあ結局、優雨は千歳さんを『幽霊』として認識したみたいなので、そこまで考える必要はなかったのかもしれませんが」

 幾分か自嘲気味に呟く千早を見て、薫子は苦笑する。
 空回りして無駄な努力、という訳ではないだろうが、唐突な事態にあれだけ対応できたのなら、それで十分だろう。
 実際、薫子と千歳は何もしていなかったのだから。

「まあ、いいじゃない。優雨ちゃんは千早のことを天使だって認めてくれた……のかな? 兎も角、千早が素を出していても、それなりに納得してくれるだろうしさ」
「はあ……そうだと良いんですが」

『……でもさ、優雨ちゃんに口止めとかしてなかったよね』
「「あ」」

 何気ない千歳の言葉に、千早と薫子は顔を見合わせた。





「ふ〜……」

 初音はゆっくりと湯の中に体を沈めた。
 夜更かしの出来ない体質(?)である初音は、申し訳ないと思いつつも一番湯に入るのが習慣になっている。
 まっさらな湯に体を沈めるのは気分が良いもので、なるほど、昔の庶民にとって一番湯が贅沢だったというのも頷ける話だった。

「そういえば、優雨ちゃんと一緒にお風呂に入るの、暫くしていないなぁ」

 初音は窓の外を眺めながら、寂しそうに呟く。
 新学期当初は、面倒を見るという意味も含めて、初音と優雨は一緒に風呂に入っていた。

 余談ではあるが。
 一番湯は体に悪いなどと云われたりするが、そこは名門お嬢様学校の聖應女学院と云うべきか、水道水をそのまま沸かして入浴しているわけではなく、入浴剤が使われている。
 水道水のままだと、浸透圧の関係で皮膚からミネラルが取られたり、塩素濃度の関係で肌への悪い影響があったりする。プールに入れられる塩素は細菌やウィルスを死滅させる効果がある――つまりは衛生上の問題なのだが、実は水道水はプールと同じだけの塩素濃度があるのだ。肌が弱くてプールに入れないという人間は、水道水を沸かしただけの風呂も肌に悪影響だったりするのである。
 閑話休題。

 優雨は大きな風呂が初めてだったらしく、初音と手を繋いで風呂に入るのは楽しそうだった。
 あの頃は今のようにぎこちない関係になるとは思っていなかったのにと、行儀悪く口元までを湯船に浸けて息を吐きながら、初音は一人黄昏る。
 ぽこぽこと泡立つ水面を見ていると、脱衣所の扉が開く音が聞こえた。

「初音、居る〜?」
「あ、は〜い、なんですか?」


 風呂場の硝子の向こうに映ったのは薫子のようだ。初音が背を伸ばして返事をすると、風呂場の扉から薫子の顔が覗いた。

「あの〜、もし良かったら、ご一緒したいかな〜なんて……」
「え? それは勿論構わないけれど、珍しいね?」
「いや、ほら、今日はさっさと休んで、明日の英気を養いたいかな〜と」


 薫子の云っていることは間違いではないが、実は千歳が優雨に口止めをお願いする間の時間稼ぎだったりもする。
 初音には見えないところで薫子の手はパタパタと振られて、様子を窺っている千歳に対して早く行けと促していた。

「それじゃ、お邪魔しま〜す」

 薫子は風呂場に入ると、軽く湯を浴びてから体を洗う。その様子を、初音は湯船に浸かったままでじっと見ていた。

「……あ、あのさ、初音。あんまりじっと見られると、気になるんだけど?」

 洗い場の前の鏡でその様子が分かる薫子は、顔を引き攣らせながら初音に語りかけた。

「ふぇ? あ、ご、ごめんね。薫子ちゃん、綺麗だな〜って思って、なんとなく見てました」
「なんとなくって……それに、初音の方があたしよりも美人じゃん」
「あはは……薫子ちゃんはすらっとしてて動きも小気味好いから、見ていると爽快なんですよ」
「むう……あたしは清涼剤かなんかか……」


 初音は頬を膨らませる薫子を見て笑う。一人で居るより誰かとこうして話をしていた方が、気分も良くなるというものだ。
 体を洗い終えた薫子は、髪を湯で軽く洗ってから頭の上に纏め上げると湯船に浸かる。以前は髪の手入れなど特に気にしていなかったが、奏に「綺麗な髪なのに勿体無い」と云われてからは、自分でも色々と調べて実践していた。
 初音は、長い髪が湯に浸かっても気にしていなかった、二年前の薫子を思い出す。良くも悪くも、色々と変わったものだ。

「ねえ……薫子ちゃん。奏お姉さまに会えなくて、寂しくなったりしませんか?」
「えっ?」
「あっ……御免なさい、変なこと聞いて。寂しくないわけ無いですよね」


 思わず口から漏れた質問に薫子が驚き、その反応で我に帰った初音は慌てて頭を下げた。

「そりゃ、寂しくないといえば嘘になるけれど。初音は……由佳里さんに会って、励ましてもらいたかったりする?」
「ふえっ!?」
「……初音さ、色々溜め込んでるでしょ。こ〜んな――」


 薫子は言葉の途中で両手を持ち上げ、自分の眉尻を指で下げて。

「――憂鬱そうな顔してる。もうちょっと力を抜いても良いんじゃない?」
「そ、そんなに分かりやすい顔をしてますか……?」
「うん」
「はうぅ……」


 即答した薫子に頭を抱える初音を見て、一頻り笑った薫子は、ゆっくりとした声で初音に語る。

「初音はさ……色々と難しく考えすぎだと思うよ? もっと単純に、簡単に解決することかもしれないし」
「薫子ちゃん……」
「ついでに云うとさ、初音は由佳里さんとは違うんだから、無理することもないんだ。……性格からして、初音に由佳里さんの真似は無理だもんね」
「別に、真似をしようとは思ってないんですけれど……」
「でも、上手くやろうとは思ってるでしょ? 由佳里さんはあれで中々やり手だったし」
「う……ん、まあ……」


 誰だって、優れた前任者を真似ようとしたり、それを越えようとして頑張ることはあるだろう。そうではないにしても、失敗しないように色々と手を尽くすのは当然のことだ。

「あたしは難しいことを考えるのが苦手だし、そもそも……何と云うか、手が早いからさ。とりあえず行動してみようってなっちゃうけれど。偶には初音も、深く考えずに行動してみれば?」
「薫子ちゃん……うん、そうだね。ずっと考えていたって分からないなら、直接聞いてみるのも良いよね」
「うん、そうそう」


 聞くって何を? と思いはしたが、薫子は相槌を打って初音を肯定する。こういうときに背中を押してもらえるのは、それだけで勇気が出るものだから。

「ところで、薫子ちゃん」
「ん、何?」
「奏お姉さまとお話ってしてますか?」
「うぇ? いやあ、お姉さまはバイトとか演劇とかで忙しいだろうから、電話はしていないけど……」
「でも、ちょっと声を聞くだけで、色々と元気になったりしません?」
「うん、まあ……初音はどうなのさ。由佳里さん、自分から電話をかけてくるような人じゃないでしょ?」
「あはは……実は、週に一回はお姉さまから電話が……」
「ええ? 嘘ぉ?」


 由佳里は大雑把で豪快な性格だと思っていた薫子は、思わず耳を疑った。
 快刀乱麻を断つような、というイメージのある由佳里だが、実際には細かいことで悩んだりするし、色恋事に関しても興味満々だったりするし、色々な顔があるものだ。
 傍若無人と思えるほどに堂々としていた影で、そういった面を覗かせていたのを知っているのは、初音の他は由佳里の姉、御門まりやくらいのものだろう。

「声色で分かっちゃうのかもしれないけれど、由佳里お姉さまは、何も聞かないでくれているんです。だから私も、あんまり心配させないように、一人で頑張ってみたいんですけどね」
「そっかぁ。……でもさ、無理して頑張って周りに心配させてちゃ本末転倒だよ。あたしとしては、生徒会の仕事だけじゃなく、他のことも頼ってもらいたいけどね?」
「ふふっ……ありがとう、薫子ちゃん」


 持つべきものは友達。よく云われるけれど、それだけに当たり前のことでもある。初音は素直に頭を下げると、綺麗に笑ってから立ち上がった。

「はふ……私、逆上せないうちに、上がりますね。ちょっと話しすぎちゃった」
「えっ? あ、そう?」


 逆上せた原因が長湯なのか薫子の言葉の所為なのか、その辺りは初音にも分からない。なんとなくふわふわした気持ちを抱えたまま、初音は湯船を出た。
 逆上せると云っている人間を引き止めるわけにもいかず、薫子は初音を見送る。まあ、足止めにはなっただろうし、優雨に口止めをお願いするだけなら、それほど時間は掛からないだろう。
 確りした足取りで風呂場を出る初音を見送った薫子は、後のことを千歳に丸投げにすると身体の力を抜く。

「あ〜……やっぱりあたしには、こういう難しいのは無理だわ……これで千歳が失敗してたら目も当てられないな……」

 初音に云われた為か奏の声を聞きたくなってしまった薫子は、行儀悪く体を大の字にして湯船に浮かぶと、奏のことを考え始めた……。

**********

 微妙に中途半端……優雨と初音のお話は次のお話のメインですから、こんな形で〆てます。
 
 年内のSS更新はこれで終わりです。皆様、また来年……雑記はまだ更新しますけれど。 

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コメント(5件)

内 容 ニックネーム/日時
明けましておめでとうございます。
実家に帰郷していたのでコメントが遅くなり申し訳ございませんでした。
今話は初音・生徒会サイドと薫子との絡みでしたね。エルダー選挙の裏側での場面を展開していて面白かったです。
個人的には原作の沙世子の初音に対する思いの葛藤が印象深かったので、それらが千歳/千早が存在する今作ではどのように影響を及ぼすのか、今から楽しみにしています。
では、またの更新お待ちしております。
今年もまた、よろしくお願いします。

2011/01/05 03:02
唯さん、あけましておめでとうございます。

原作での沙世子は、完璧すぎる千早に対しての嫉妬心その他諸々がありましたけれど、このお話では千歳が表に出ているので、そういった感情は抱きにくくなってます。
その分のシワ寄せが薫子にいくんですが……まあ、それは次の話でも出てくると思いますので、お待ち下さい。

では、今年も宜しくお願いします。
A-O-TAKE
2011/01/05 20:19
報告です

・優雨ちゃんと始めて会った→優雨ちゃんと初めて会った
・薫子は指を顎に当てながら→薫子は指を頤に当てながら
・大きな風呂が始めて→大きな風呂が初めて


コメント2個してしまってすみません
Leon
2011/11/10 13:11
修正完了です。
ちょっと言い回しを変えました。

自分でも気が付かなかったんですが、「頤」という文字を「おとがい」と「あご」で使い分けて書いてる時が有るみたいですね……二種類混ざっているのはそういうことみたいです。
A-O-TAKE
2011/11/17 15:05
再び報告です


・聖應生徒たちの頂点に立つ存在→聖應の生徒たちの頂点に立つ存在
・そこは名門聖應女学院と云うべきか→そこは名門・聖應女学院と云うべきか


「あご」の件、統一するのでしたら教えて頂けばまた報告しますよ
PC版は確認してませんが、小説もPSP版も統一されてなかったりするので、そこまでシビアに行かなくても…とは思うんですけどね

ちょっとエトワール読みたくなったんで読んできます
Leon
2011/11/21 18:30
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