A-O-TAKEの隠し部屋

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zoom RSS 妃宮さんの中の人 7-EX-2

<<   作成日時 : 2012/03/17 01:08   >>

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 遅れました〜
 タイミング的に、ここに入れるくらいしか思い付かなかった話。

 

**********





「止めっ!」
「……っ」


 講堂の中に響く声に、玲香は身体をビクリと震わせた。
 目の前に居る芝居の相手に向けていた視線を、声の主へと移す。そこに居るのは、演劇部員たちの中で最も小柄な、しかし確かな存在感を以ってそこに在る部長の姿。
 じっと玲香を見詰める瞳は真剣そのもので、玲香は思わず肩を竦ませてしまう。

「玲香ちゃん。何故演技を止められたか分かりますか?」

 声に籠められているのは怒りではない。教え、諭し、導くものだ。それが玲香の為を思って云われていると分かる故に、尚更に萎縮してしまう。

「……はい」
「ではもう一度、最初からです」


 玲香が絞り出した声に頷いた部長は、パンと軽く手を打って部員たちの動きを促した。



 聖應女学院の演劇部は、レベルの高い厳しい練習を行っている。毎年二月に行われる演劇コンクールで上位入賞の常連となっているのは、その厳しい練習が反映されているからだ。
 中等部の頃から演劇部に所属していた玲香は、高等部に上がる前からその練習の厳しさを間近で見ることが出来た。その厳しさを分かった上で、それでも演劇部に所属しようと思った。
 その理由は、その他大勢の新入部員と同じ。現部長の演技を見て彼女のファンになったからだ。
 勿論それだけが理由では無く、自分はその厳しい練習も受け入れられると云う自負が有ってこそだが。事実、玲香は新入部員の中でも頭一つ抜き出た演技力が有った。
 ……だから、その部長が直々に学院祭で遣る演劇のヒロインに指名してくれた時、嬉しいと思う反面、当然だと思う傲慢さも有ったのだが。



「……はあ……」

 演劇部の練習が終わった後、玲香は一人、食堂の裏手にあるテラスへと足を運んでいた。
 学院祭まで残り一月となった今、練習はいよいよ厳しさを増し、玲香が演技指導を受ける回数も日を追う毎に増えていく。
 おかげで玲香の心に有った傲慢さは勿論のこと、自信もすっかり磨り減ってしまった。

「……はあ……」

 玲香はもう一度大きな溜め息を吐き、夕日に染まって赤みを増した紅葉を見上げる。
 頭の中に浮かぶのは、部長から指摘された玲香の演技に就いて。

「もっと台詞に感情を籠めるのです。両親が選んだ男性との結婚や安定した生活を放り出して、好いた男性の下へ向かうことを両親へ告白するこの場面……玲香ちゃんの演じるヒロインは、恋の為に全てを投げ打つ情熱を持った女性なのですよ。分かりますか?」

 ……分かる訳がない、と口の中で呟く。
 そもそも、玲香は初恋らしいものさえ体験したことが無い。演じるヒロインの立場――厳しくも優しい両親や安定した生活――と云うものを知ってはいても、それを捨てようなどと思ったことも無い。
 人生経験なんて陳腐な言葉で片付けたくは無いけれど、分からないものは分からないのだ。

「……はあ……」

 部員たちの咎めるような視線を思い出して、微かに身を震わせる。ただの被害妄想かもしれないけれど、みんなの足を引っ張っているのは確かだ。
 どうにもならないのなら、いっそ辞めてしまおうか……零れそうになる涙を上を向いて堪えながら、最後に残っていた自尊心が磨り減ってしまいそうになる、そんな時に。

「紅葉に映える夕日が目に沁みるわね。貴女もそうなのかしら?」

 さくり、と落ち葉を踏みしめる音と共に、綺麗なハンカチが玲香の視界の中に飛び込んできたのだった。



――――――――――



「……そんなこともあったかしらね」
「まあ、お姉さま。お忘れになってしまわれたのですか?」


 放課後と云うには少し早い時間、第二音楽室には香織理と玲香の姿が有った。
 二人が逢引に使っている場所は幾つか有るが、ここ第二音楽室もそんな場所の一つだった。

「私は、あの時に頂いたハンカチを宝物にしていますのに」
「……恥ずかしい子ね」


 香織理は玲香に向けていた視線を窓の外へと移す。
 実際のところ、香織理だってそのときのことは覚えていた。しかし、普段の自分らしからぬ気障っぽい台詞で優しさを示したことも同時に思い返してしまう為、普段は意識しないようにしているのだ。
 玲香は横を向いた香織理の頬が僅かに赤くなっているのを見て、香織理がそのときの行動を思い返して照れているのだと察した。

「お姉さま、頬が赤いです」
「……夕日の所為よ」
「今日は随分と日が沈むのが早いですね?」
「玲も意地悪な子になったわね。あの時、私の胸で泣いていた可愛い子はどこに行ったのかしら?」


 溜め息を吐いた香織理は僅かに口を尖らすと、拗ねたような言葉を呟いた。

「あら、お姉さま。それは勿論……お姉さまに、食べられてしまったのですわ」

 おどけたように肩を竦めた玲香は、香織理の傍へと近付いてから目を閉じて、心持ち踵を上げる。
 キスを強請るような玲香の態度に苦笑を零しながらも、香織理もまたそれに応じようと手を伸ばし――しかし、その手は玲香の肩を抱かずにそっと身体を押し返した。
 ぱちりと目を開けて戸惑った表情をした玲香は、こちらを向いている香織理の視線だけが教室の扉へと向いているのに気が付く。
 玲香は香織理と同じように視線だけを扉に向けた。ほんの僅かに、締め切っていた筈の扉が開いている。

「……もう、終わりにしましょう」

 まるで台詞と有っていない、悪戯をする悪童のような笑い方をした香織理。
 お姉さまの悪い癖が出た、と思ったのも一瞬のこと。玲香は今の場面に相応しそうな台詞を思い浮かべて、アドリブで言葉を繋ぐ。演劇部の副部長は伊達ではないのだ。

「そんな、お姉さま。お姉さまは私をお棄てになるのですか?」
「元より、私が卒業するまでの関係でしょう? 貴女も、私が居なくなるということに慣れないといけないわ」


 扉の外に居る人間に立ち聞きさせる為のお芝居の筈なのに、玲香の胸に、香織理の言葉が沁み込んで淡い痛みを感じさせる。
 湧いた思いを振り払うように――或いは、香織理の台詞を否定するように首を振った玲香は、両手を胸の前で組むと、祈りを捧げるように香織理を見上げた。

「お姉さま、もう少しだけ……ご一緒させて下さい」
「……駄目よ」
「自由な恋が出来るのは学院の生徒である間だけ、そう云って私を口説いたのはお姉さまなのに……」
「ええ、そうね。卒業すれば親の決めた相手との結婚が待っている。だから、せめて学院に居る間だけ、自分で選んだ相手と恋をしたい」
「はい、そう云って、私を選んで下さったのはお姉さまです」


 じっと見上げてくる玲香の頭をそっと撫でてから、香織理はにっこりと微笑む。

「そうだったわね――」

 玲香もまた、香織理の笑みに合わせるように微笑んで。

「――だから貴女も、自分で相手を見つけなさい。いつまでも私にしがみ付いていては駄目よ」
「えっ……」


 言葉と共に撫でていた手を頬に回し、玲香の頭を優しく抱き寄せながら、香織理はその耳元に囁いた。
 その、茶番劇と云うには思いの籠もった台詞を聞いて玲香が身を硬くした瞬間、ちゅ、と香織理の唇が玲香の頬を触っていく。玲香は声にならない声を上げ、キスされた頬を触った。
 玲香は身体を離した香織理に手を伸ばし、声を掛けようとした、その瞬間。

「何を遣っているの、貴女たちは!」

 勢い良く教室の扉が開き、血相を変えた沙世子が飛び込んできた。
 甘く切ない空気がどこかへと飛び去って、香織理と玲香は少しばかり冷めた視線で沙世子を見る。沙世子の後ろ、教室の扉の影には、初音たち生徒会の面々も見えた。

「……呆れた。沙世子さんだけかと思ったら、みんなで覗いていたのね」

 香織理がやれやれと首を振る。しかし、香織理たちが居る第二音楽室は生徒会室と同じ階に在るのだから、真に呆れられるべきなのはこんな場所で逢引していた香織理たちの方だろう。

「あ、あはは……ゴメンね、香織理ちゃん。もう直ぐ演劇の練習だから、玲香ちゃんを探していたんだけれど……」
「それどころじゃないでしょう、初音! こ、この二人……ふ、ふ、ふ」
「……不純交遊?」
「そう、それよ!」


 初音の言葉に「我が意を得たり」と頷いた沙世子が、香織理と玲香を指差して文句を云おうとした瞬間。

「ああ、申し訳ありません。少々演劇の練習に熱を入れすぎてしまいました」
「……えっ?」


 冷やかに響く玲香の声に、沙世子の指が勢いを失って下を向く。
 恋人として少なくない時間を一緒に過ごしてきた香織理は、玲香が怒っていると気が付いた。香織理としても、もう少しアドリブ劇を続けたい気分ではあったので、そのまま成り行きを見守る。

「生徒会主催の演劇で演技指導をしておりますが、だからと云って演劇部の公演に出演しないと云う訳ではありませんので。香織理お姉さまにお付き合いをして頂いておりました」
「そ、そうなの……ごめんなさい。邪魔をしちゃって」


 普通なら、何かおかしいと感じることも出来たであろう沙世子だが、玲香の放つ異様な雰囲気に圧されて思わず頭を下げてしまった。
 そんな玲香を宥めるように、香織理の手が玲香の肩をそっと叩く。

「玲、また今度付き合ってあげるから、今は生徒会の方を優先なさいな」
「……そうですね。ではお姉さま、詳しい話はまたその時に」
「ええ」


 玲香は一瞬だけむっとした表情を見せたものの、素直に頷くと初音たちに会釈をしてから教室を出て行った。

「あ、玲香ちゃん……もしかして、怒らせちゃったかな?」
「大丈夫よ。あの子は演技のことになると煩いだけ。ほら、奏お姉さまと同じようなものよ」


 不安そうに玲香を見送った初音が呟くと、香織理はそんな初音を落ち着かせるように声を掛ける。
 演劇部は演劇のことになると妥協しない……去年の部長である奏もそうだし、一度だけ会ったことのある伝説の万年部長もそうだったと思い出した初音は、ほっと安堵の息を吐いた。

「さ、それじゃ私たちも行きましょうか」
「そうね。余り時間も無いし」
「……あ、そうだ。沙世子さん」
「……何?」


 香織理は、初音に促されて教室を出ようとする沙世子を引き止め、いたずらっぽく笑う。

「玲香のさっきの様子、あれでも怒っているのよ。だから今日の演劇の練習、気を付けてね?」
「どう云う意味?」
「……あの子、厳しいわよ。例え素人が相手でもね」
「お、脅かさないでよ……」


 余りにも真に迫った云い方をした為か、沙世子が大げさに身を震わせた。実際には脅しでもなんでもないのだが、それは直ぐに沙世子にも分かることになる。
 そうして出て行く生徒会の面々を見送ってから、香織理は一人、窓辺に寄った。

「……実際、もうそう云うことを考える時期なのよね」
「へえ〜、そうなんですか」


 独り言に返事が有ったことに驚いた香織理は、勢い良く振り向く。そこに居たのは、ニヤニヤと笑っているさくらが居た。

「な、何か忘れ物かしら?」
「はい。コレを、香織理お姉さまに」


 さくらが香織理に差し出したのは、コピー用紙を纏めた小冊子。演劇部が創造祭で演じる舞台の台本だった。

「演劇の練習に付き合うのなら、台本ぐらいは無いと困っちゃいますからネェ」
「そ、そうね。ありがとう」
「いえいえ、これくらいはお安い御用です。玲香ちゃんは私にとっても大事なクラスメイトですからね。では、お気を付けて」


 ニヤッと笑ったさくらは踵を返し、そのまま教室を出て行った。
 台本を手に暫く呆っとしていた香織理は、ハッとしたように頭を振る。

「……なんだ、良い友だちが居るじゃないの」







 ダイヤのネックレスを取り戻したダルタニャンと三銃士。
 バッキンガム公からの追っ手を退けて海を渡り、パリまで後三日の距離となったところで、一行は一息吐いて休養する為に街道沿いの宿に一泊することになった。
 そしてその夜、ダルタニャンの部屋にはミレディーが訪れていた。

「ここまで来ればもう安心ですわね」
「そうだね。貴女にも随分と世話になった」
「お気になさらず、それが私の仕事ですから」
「こうして、夜に男の部屋を訪れるのも仕事なのかい?」
「ふふ……どうでしょう」


 夜間に男の部屋を訪ねるのは「はしたない」ことである、と云うのが一般的な女性の考え方。つまり逆に考えれば、夜に男性の部屋を訪ねるのは情を交わす為だと云うことだ。
 旅の途中で好意を示されてはいたものの、いざ目の前で悪戯っぽく笑われてしまうとダルタニャンの動悸が激しくなる。
 夕食のワインを少なめにしておくんだった。ダルタニャンのそんな呟きが聞こえたミレディーは、微笑みながら彼の元へと近寄った。

「ダルタニャン」
「な、何かな」
「フランスと云う国と銃士隊、選ぶとしたらどちらにしますか?」
「……え?」


 呆気に取られたダルタニャンの前に立ったミレディーは、微笑みを真面目な顔に変えながら、ダルタニャンの胸元に手を這わせる。

「真にフランスの為を思うなら、私と共に行きましょう。王妃ではなく、枢機卿にこそ正義があるのです」
「……君は、何を云っているんだ?」


 うろたえるダルタニャンに身体を寄せたミレディーは、態度とは裏腹の真面目な表情のまま、真っ直ぐに目線を合わせた。その頬が赤く染まる。

「貴方に云い寄っているのですよ。私と共に枢機卿に仕えましょう。そうすれば、私は貴方のものです」
「……君は枢機卿の密偵だったのか……? 最初から、その心算だったのか!?」
「……いいえ。最初は貴方たちを出し抜く心算でした。ですが……貴方が欲しくなった」


 ミレディーはダルタニャンに寄り添ったまま彼の足の間に自分の足を入れると、その足を軽く持ち上げて膝を股間に当てる。
 う、と唸ったダルタニャンの顔から目を離さぬまま、赤みを増していく顔を近付けて、その唇を――



「――やっぱり駄目! もう限界!」
「ひゃん!?」


 叫んだ沙世子は千歳の胸を突き押して距離を取った。真っ赤な顔で口を開け閉めしながら喘ぐ。

「ちょっと、何をしているの、沙世子さん!! これで何度目!?」

 手に持っていた台本を机に叩き付けた玲香が、そんな沙世子に向かって激しく詰め寄った。演技に関しては上級生のお姉さまであろうとも容赦はしない、演劇部の鬼の副部長だった。

「う……でも、やっぱり無理よ」
「無理じゃない。私も沙也香さんも出来ると思ったから、沙世子さんにこの役を振ったのよ」
「そうよ、沙世子さん。貴方なら出来るわ」


 玲香と沙也香に詰め寄られ、うう……と唸る沙世子。一体何がどうなったら自分に出来る役と云うことになるのか、と上目使いで玲香を見た。

「良い? このシーンでは、世の中の裏の事情を知っているミレディーが、本気で好きになったダルタニャンに云い寄って誘惑する。男を落とす手練手管を使いながら、初心な女性のように羞恥に顔を染めるミレディー……」
「そ、それは何度も聞いたわよ」
「なら、分かるでしょう!?」


 バンバンと傍の机を台本で叩きながらヒートアップする玲香に、沙世子は我知らず後ずさった。

「沙世子さんの今感じている羞恥心、それこそがリアルな演技に必要なのよ!」
「そうよ沙世子さん! 貴方のその恥らう顔が、エロスに繋がるのよ!」
「え、エロスって何!?」
「リアリティな演技のことよ!」
「そうよ、リアルなエロよ!」


 絶句して動揺する沙世子。誰かに助けを求めようと周囲を見回すも、大部分の生徒は赤くなりながらもじっくりと演技を見ているし、初音に至っては何やら羨ましそうに目を輝かせる始末。
 さくらや耶也子など一部の下級生は、鼻に手を当てたり後ろを向いて肩を震わせたりしていた。
 絶望に染まった沙世子を助けたのは、極一部の例外である――でも顔は赤かったが――薫子だ。

「沙也香さんも玲香さんも、ちょっと落ち着きなよ。……って云うか、沙也香さん欲望出し過ぎ」

 前からこんな人だったかなと首を傾げる薫子。誰かの影響を受けているのではないだろうか。例えば陽向とか、あるいは陽向とか、あと陽向とか。それとも本性を隠していた? 
 ふと過去の事件を思い返した薫子は、そんな場合ではないと首を振る。

「薫子さん、貴女が救いの天使に見えるなんて……」
「いや、別に助けようってんじゃ無くて、あたしたちの練習の時間が無くなるから……」
「……そうね。取り合えず、沙世子さんは明日までの宿題にします。ちゃんと自主練習してくるように」


 溜め息を吐いた玲香は、沙世子をじろりと睨むとそんなことを云った。

「……自主練習?」
「相手だって同じ場所に住んでいるでしょう」


 玲香と沙世子の視線が脇へと向かう。そこには、ケロリとした顔で台本を読み直している千歳が居た。
 理不尽だわ、と云う沙世子の呟きが小さく響いた。
 女同士でも大変な演技なのに、それを尚更大変なものにしている理由。それはつまり、千歳は――正確にはその身体が――男だと云うことを、沙世子が知ってしまったからなのだから。

「……もう少し、演技のコツみたいなものは教えてもらえないの?」
「そんな簡単に分かるようなコツが有るなら、苦労はしないわ」


 玲香は弱気になっている沙世子の声に正論で返した。
 演技と云うものは哲学に似ている。自分が体験した事柄を演技と云うものに乗せて外へと表現するのが役者であり、役者自身が体験したことの無いものは演技で表現するのは難しいものだ。
 玲香が昨年に演技で悩んだのもその所為であるし、それを解決することが出来たのも、自らがその感情を理解したからだ。
 陳腐な云い方をするならば、玲香は香織理と云う人間に出会ったことで、演技の幅を広げたのである。

「台詞に感情を籠める……云うのは簡単だけれど、実際に遣るのは難しいものよ」
「じゃあ、どうすればいいのよ」
「……そうね。一番簡単なのは、実際に体験してみることかしらね。よく云うでしょう? 役になりきれって。それはつまり、架空のキャラクターの感情と自分の感情を同じにするって云うことよ」
「……具体的には?」
「相手に怒っている時には、実際に相手役を怒る。笑っている時は、実際に楽しいと思いながら笑う。恋をしている時は……実際に相手役を好きになるのが一番よね」








 ……男にとって女とは、永遠の謎であるらしい。千早は昔読んだ本の言葉を思い出しながら、沙世子と真正面から向き合っていた。
 夕食後に休んでいた千早たちに、演技の練習がしたいと沙世子が申し出たのはつい先程。
 食堂で演技の練習をするというのも変なので、千歳の部屋へと場所を変えたのだが……この状況の何がどうなれば演劇の練習になるのだろうか?
 そうやって千早と沙世子が見詰め合っていると、扉が軽くノックされた。千早たちをチラリと見た史が、心得たように扉に近付いて外の様子を伺う。

「どちら様でしょう」
「あ、史ちゃん? 千歳は居るかな。あたしも演劇のことで相談があるんだけど」
「少々お待ち下さい」


 薫子の声が聞こえた千早が軽く頷いたのを見て、史は薫子を招き入れる。部屋に入ってきた薫子は、千早と沙世子の様子を見て当然のように首を傾げた。

「……何してんの?」
『演劇の練習だって』
「はあ?」

 沙世子は顔を僅かに赤くして、睨みつけるように千早を見ている。傍から見れば怒っているようにしか見えない。
 しかし、演技指導を受けている沙世子を見ていた薫子には、もう一つの心当たりが有った。

「ねえ、もしかしてとは思うけどさ。沙世子さん、本気で玲香さんの云ったことを実行する心算?」
「……別に、そう云うわけじゃないわよ」

『ねえ、それってどう云うこと?』
「つまりさ……ミレディーがダルタニャンに恋をするように、沙世子さんも千早に――」
「だから、違うってば。正面から見詰め合っても照れないように、少しでも慣れておこうと思っているだけよ」


 沙世子は視線を薫子に移して反論し……薫子の顔がニヤニヤと笑っているのを見てからかわれたのだと理解した。

「ダルタニャンは千歳が遣るんだから、千早を相手に練習しても意味が無いんじゃない?」
「そんなこと無いわよ。男装するってことを考えると、元から男である千早さんに頼む方が良いでしょう?」
「そうかなあ……」


 千早の顔を見る薫子。千歳としての姿を見慣れている薫子は、沙世子と大きな認識のずれがある。それはつまり、

「こんなこと云っちゃなんだけど、千早は綺麗過ぎて男に見えないでしょ」

 千早が女の子に見えてしまう、と云うことだった。沙世子はその生真面目な性格と倫理の問題から、千早は男・千歳は女として分けて考えている。しかし千早の女装姿を見慣れてしまった薫子にとっては、千早の性別は大して重要な問題ではなくなってしまったのだ。

「ぐはっ……!」
『か、薫子ちゃん、ストレートに云いすぎだよ!』
「あ〜、ごめん」

 薫子は、よろめいて床に突っ伏した千早の元に千歳が飛んで行くのを眺めながら、流石に言葉が拙かったと反省した。
 しかし、それは薫子の偽らざる本音でもある。正体を隠して女学院に居る関係上、女に見えると云うのは良いことなのだろうが……余りにも女らしい所為で、たまに千早が男だと忘れてしまうのだ。

「……千早さまの○○○を見た薫子お姉さまとも思えない発言ですが……」
「ん? 何か云った、史ちゃん?」
「いいえ、何も」


 ゴホンゴホンとわざとらしい咳払いをする史。

「まあ、薫子さんの云いたいことも分かるけれど。私は千歳さんを男だと思って演技をしなきゃいけないわけだし……」

 沙世子の方は千歳が幽霊で千早が男だと知ったのが数日前と云うことも有って、見た目は女でも実際は男、と云う印象の方が強い。
 まして沙世子は、ダルタニャンを誘惑する女性と云う役どころだ。沙世子自身の倫理観では女性が女性に恋をするのはおかしい――だからこそ、沙世子は恋心に悩んでいるのであるが――ので、どうしても相手を男として見てしまうのである。

「薫子さんは、千早さんを間近で見て照れたりするなんてことは無いの?」
「そりゃ、入寮してきてから暫くの間は照れも有ったけど、それは単純に千歳が美人だったからでさ。実際の為人を知っちゃえば、ああこんなもんかって感じだよ」
「そ……それはそれで、何と云うか……」
「ま、さっきの沙世子さんの言葉じゃないけど、要は慣れよね」
「あんまり参考にならないわね。ま、薫子さんが『ラブシーンなんて平気』だって云うのなら、それはそれで構わないんだけど」


 肩を竦めて分かりやすい溜め息を吐く沙世子。
 あと二・三日もすれば講堂で通し稽古がある。その時になって慌てなければ良いけどね、と呆れたように呟いた。







「はあ〜……」

 湯船に肩まで使った千早は、少々年寄り臭い息を漏らした。
 寮の中に居て素の自分に戻れるのは、浴室とトイレぐらいのもの。肩肘張らずに力を抜ける大事な時間だった。

「……千早さま、お湯加減は如何でしょうか」

 浴室のガラス戸越しに聞こえてきたのは、見張りをしている史の声だ。
 薫子に入浴中の姿を見られて以来、千早が風呂に入る時は史が脱衣場で見張りをし、邪魔が入らないようにしている。今日はのんびりしたいので一人で入浴していると説明すれば、無理に押し入って湯を共にする寮生は居ないからだ。

「うん……丁度良いよ〜……」

 のんびりとした千早の声に、史は少しだけ口元を緩めた。こういう声だけ聞けば、やはり千早は千歳と双子なのだな、と変なところで納得してしまう。
 一方、のほほんとした主従を余所にプリプリと怒っているのは幽霊状態の千歳だった。千歳は千早の頭上辺りを漂いながら、ぶつぶつと愚痴を漏らす。

『まったくもう、薫子ちゃんも沙世子ちゃんも、ちーちゃんの格好良さを分かってないよ!』
「はは……まあ、男らしい格好でないのは確かですからね」

 千早は苦笑しながら千歳を宥める。ひらひらのネグリジェを着た男を見て、男らしいと感じる女は居ないだろう。
 そもそも、千早が男の姿をしてみんなの前に姿を現すことが出来ないのだから、その辺りのことは諦めるしかない。

『む〜……あ、そうだ!』
「どうしました?」

 閃いた、と手を打つ(音は聞こえないが)ポーズを取った千歳は、千早に対してニヤリと笑った。

『ちーちゃんも演劇の衣装を着て、薫子ちゃんや沙世子ちゃんに見せてあげれば良いんだよ!』
「えっ……」
『うんうん。ついでだから、舞台でも半分ぐらいをちーちゃんに任せれば、私も沢山台詞を覚えなくて済むし』
「……何を云うかと思えば。駄目ですよ、ずるをしようなんて考えちゃ」

 首を振った千早は、頭上に纏め上げている髪に手を這わせながら、呆れた声で千歳を嗜めた。

「みんな、エルダーの……千歳さんの舞台を楽しみにしているんです。僕が代わりに出たってしょうがないでしょう」
『むっ……またそんなこと云う』

 千早の言葉には隠しきれない自嘲の響きがあった。千早の内向的なところを嫌う千歳は、その言葉に眉を寄せると呆れたような声を出す。

『……ちーちゃん、メッ、だよ』

 口を尖らせた千歳が千早と同じ目線まで降りてくると、私怒ってます、とはっきりと分かる顔で千早を睨んだ。思わず怯む千早に詰め寄る千歳。

「な、何ですか?」
『い〜い、千早。良く聞きなさい』

 人差し指を千早の鼻先で振った千歳が、その指で千早の額を弾いた。痛さを感じるわけではないのだが、何となく額を押さえる千早。

『妃宮千歳って云うエルダーは、私一人のことじゃないの。千早がここに居てくれなければ、妃宮千歳って云うエルダーは居なかった。分かる?』
「……はい」

 どこか呆然とした風の千早の声が浴室に響いた。そんな千早を見た千歳は、腰に手を当てて偉そうに踏ん反り返ると、諭すように――あるいは、出来に悪い弟に物を教えるように――ゆっくりと言葉を繋げる。

『つまり、私と千早が二人揃って、初めてエルダーになるんだよ』
「……二人で、エルダー」
『そう。二人でエルダー』

 天井から浴槽へ水滴が落ちて、ぴちょんと間の抜けた音を出す。千歳と見詰め合っていた千早は、不意に照れくさくなって顔を逸らした。

『だからね、ちーちゃんも遠慮する必要は無いんだよ。ちーちゃんだって、間違いなく妃宮千歳その人なんだから』
「……はい。ありがとうございます」
『えへへっ』

 笑う千歳が頭の上に圧し掛かってくるのを感じる。逸らした視線の先にある鏡越しに千歳と目が合った千早は、もう一度、確りと礼を云った。

「……ありがとう、姉さん」









「……結果的にとは云え、立ち聞きとは少々無粋でしたね……」

 史は赤くなった頬を押さえながら、そっと脱衣場から立ち去ったのだった。






――――――――――






「驕りと云うものは、確りと砕いて研磨剤とするのが良し、なのですよ」
「……どう云うこと?」
「あは、私にもちょっと難しいのです……実は、これは小鳥遊部長の受け売りなのです」
「小鳥遊部長って……確か、瑞穂さんと同級生だったって云う人だっけ?」
「はい。一年生の時から演劇部の部長を務めていた人で、奏を役者として育ててくれた人なのです」
「は〜……凄いね。それで、どんな意味だって?」
「ええとですね……驕りと一緒に矜持や誇りまで砕いてしまっては意味が無い。だからと云って、手加減をして目の粗い研磨剤になってしまうと、才能と云う珠が傷だらけになってしまう。丁寧に、時間を掛けて砕いていく必要がある、のだそうですよ」
「ふ〜ん……あたしには良く分からないけど、大変そうだね」
「はい……奏には、少し難しいのですよ」
「……お姉さま、ちょっと落ち込んでる?」
「えっ?」
「一人称が、「私」から「奏」に変わってる。そういう時は誰かに甘えたくなってるんだって、由佳里お姉さまが云ってた」
「……むぅ。由佳里ちゃんはどうしてそう云うことを教えちゃうのですか。それに薫子ちゃんも意地悪なのです。分かっていても云わないのが優しさなのですよ」
「あははっ」







「ふうん……そう云うこと」






**********

 最初と最後の部分は蛇足的なもの。
 ゲームの半年前、香織理の入寮辺りの時間を書いたシリアスなSSから引っ張ってきました。

 本当なら、もっとちゃんとした形で書きたいんですけどね。薫子と香織理の諍いの話とか。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
お久しぶりです。
なかなか読む暇もなくて溜まっております。
では報告からいきます。

・部長から指摘された玲香の演技に付いて→部長から指摘された玲香の演技に就いて
・架空のキャラクターの感情と自分の感情を同じする→架空のキャラクターの感情と自分の感情を同じにする
・千歳としての姿を見慣れている薫子→千早としての姿を見慣れている薫子(混乱して変なのかどうかも分からなくなりました…訂正に自信がありません)

3個目はホント訳分からなくなって…千歳としての姿、なら他の人も見慣れてるな、と思ったので一応報告です。


感想です。
史が脱衣所から立ち去る場面、良かったです。でも聞いていても千歳も千早も気にはしそうにないですよね。それだけの時間を共に過ごしてきたわけですし。そこで立ち去る史がまた史らしさがあって良かったです。

演劇部の部長は演劇部の演劇だけに集中していたんですかね。エルダー主演、と考えると生徒会劇の指導に回ってもおかしくはなさそうですが。いや、圭さんが凄かった、ということにしておきます。

では次も読ませて頂きます。
Leon
2012/06/08 04:26
Leonさん、こんにちは。
修正完了です。いつも有難うございます。
三つ目の部分に関しては、今の文章では分かり難いので補足を入れました。
沙世子はその性格上(性的な意味で)男としての千早を意識せざるを得ないのですが、薫子は千早を男として認識していない=危機感を感じていないということです。

>史
普段は容赦の無い発言をする史ですが、この作品での史は千歳・千早姉弟の語らいを大事にしてあげたいと考えてます。……お別れが迫ってますしね。

>圭さん
一年から部長をしている伝説の人ですから。二つ名とか有っても不思議じゃないですしね。名前も分からない今の部長は犠牲になったのだ……玲香さんの出番の犠牲にな……。

では、またお越し下さい


A-O-TAKE
2012/06/10 12:23
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